un capodoglio d'avorio
2004年12月07日(火) |
NODAMAP「走れメルス 〜少女の唇からはダイナマイト」1 |
ちゃんとしたレビューっぽい文章を書く体力が無いからそれはまた今度、書きたい。
パンフの扇田サンと野田サンの対談が面白かった、さすが扇田サンだった。
バブルと90年代を乗り切った野田秀樹
この認識はきっと、かなり適切なものだと思う。そしてこの伝で言うと・・・
バブルと90年代を乗り切れなかった鴻上尚史
これも事実だと思う。音楽劇『リンダリンダ』の失敗を見るまでもなく。そして、恐らく・・・
バブルと90年代から逃げたつかこうへい
このレトリックに即して言うと、きっとこうなるのだろう。扇田サンが指摘するとおり、つかサンは自分が一世を風靡しているのにもかかわらず、自らをアングラとうそぶき、アイドルたることを頑として受け入れなかった。うがった見方をすれば、いま拙い役者を揃えて北区つかこうへい劇団を主宰しているのも、表舞台に出るのを拒むためにあえて舞台のクオリティを「低く抑える」ための施策だと、とれなくもない(きっと扇田サンはそう見ている)。
激しく撃沈した鴻上サンはおいておくとしても、野田サンは外様の役者を揃えたプロデュース公演と、企業の冠を戴いたスポンサーシステムいう「禁じ手」に染まりながらも、とにかくもバブルと90年代を乗り切った。そうしていまでも、つかサンや鴻上サンと比べると雲泥の差とも言えるステータスを、自らの舞台に付与し続けている。
代償が、9000円という「演劇」としては極めて高価なチケット代の設定である(ちなみに同時期に上演するつかサンの舞台は500円w)。
いい悪いの問題じゃないし、自分のなかでもあまりまとまってないし。野田サンのすごさすばらしさを充分認めた上で、でも、この「生き延びるための代償」は小さくないと思ったりもする。
「演劇」とは舞台の上がすべてじゃない。青年団の駒場アゴラや、維新派の野外劇場がそれをどかに教えてくれた。もしくはつかサンの「500円」も、どかにそれを教えてくれたんだと思う(でも、お金だけの問題じゃない)。そして野田サンもかつてはそれをたしかに知っていて、どこかの段階であえてそれを切ったのだと思う。
切り捨てたのだと思う。あえて。それはいい悪いの問題じゃない。ただ、でもこの「切り捨てた」ということを、どかとしては認識したい。野田サンの「演劇」の、舞台上の表現が洗練されていけばいくほど、煌めきを増せば増すほど、影として暗く落ちて見えにくくなる部分がある。それはテーマ性以外の部分である。
思惑通りアングラと化したかつてのスター、つかこうへいの視点に立って、見えてくることのひとつには、そういうこともあるのだと思う。
(続く)
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