un capodoglio d'avorio
天気予報を無視したくなって、かさを持たずに家を出て、で、さっきキャンパスを出た瞬間に雨がザーッ。真性雨男な自分がきらい。というか、きょうは一日、調子悪い。
いっしょにボスの講義のサポートをしたNサンも心配してくれたらしく、優しかった、どかに。
理由はわかってる、昨日の「不慮の事故」だ。夕方になってようやく気づいた。あれが、ずっと胸を圧迫しているんだわ。
馬券を買う人は全国に何百万人といて、みんな、こういうことをどうやって処理しているんだろう?どかは自分が見ているレースで悲劇が起きたのは今回がはじめて。こんなに自分の中の回路がふさがって苦しい。だって、昨日、じっさいに府中のスタンドにいた人はまさに目の前だったわけじゃない?みんな、どうやって心の整理をつけているの?
馬券を買わない人には、たかが競走馬の一頭や二頭と思われてもしかたないかも。そんなのより、イラクで犠牲になった二人を思えよ。と、言われるかもしれない。
でもそしたらどかは言う。ならイラクで誤爆で亡くなった母子はどうなるんだ。
悲しいけれど、どかには異国の地の二人よりもマイネルブルックのほうが悲しい、だってより近しい存在だったから、そしてブルックを担当していた厩務員サンの昨日のレースのあとの作業を思うと、ほんとうに、たまらない。
そしてどかのいまの想像力なんてこんなところが限界だ、隠してもしかたない、その程度だ。二人の無念や誤爆に散った母子の痛みを想像する余力はどかはもてない、いまは。
でもここからしか、始められないでしょう?
少なくともどかは、ブルックやサンビームの自己責任などと言うつもりはない。さらに、人間にはそういう議論を適用できるとする、欺慢を許せない。
いまはとりあえず、ボスの授業でフロイトのミケランジェロ論の解説をノートにとりながら、きさらぎ賞で聞いた蹄の音を思い出すくらいがどかの関の山。
(※某所にアップしたケータイ日記の再録です・・・)
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