un capodoglio d'avorio
玄関を出たときは雨が降りそうだったけれど、 出町柳の駅を出たら、日差しがちゃんとしてて気持ちいい。 歩きながら頬に当たる風も、ちょうど良い冷たさでスッとする。 総人A棟の研究室について、みなさんにあいさつ、 きょうの準備を手伝う。 椅子を運んだり机を拭いたりレジュメをコピったり。 イタリアより来日中のM先生による公開ゼミナール。
「現代イタリアにおける美学思想の潮流」、 ・・・サブタイトルが「美学と政治の閾」。
4時間に及ぶ講義のあいだ、レジュメは日本語だったにも関わらず、 どかの頭のなかは、クエスチョンマークが馬なり3ハロン、 ぶっとばしてたのは言うまでもない(というかもはや意味不明)。
それでもかろうじて理解できたのが、ウンベルト・エーコのくだり。 M先生にとって、あのエーコは兄弟子にあたるらしい。 それを知っただけで、ミーハーなどかはびっくりして嬉しくなってしまう。 きゃー「薔薇の名前」(って言ってもこれしか知らなかったり)!! で、記号論の応用やファジー美学、「作品の意図」など、 代表的なコンセプトについての流れを説明されたあとで、 M先生がおっしゃったのは、
実は、今回のゼミの原稿のエーコに関する部分は、 エーコ自身に見てもらって、OKをもらってきたんです・・・
もうミーハーなどかはそれだけで、きゃー、すごーっ!! またしても映画「薔薇の名前」が頭のなかで再生される。 っていっても、昔に一度観ただけであんまし覚えてないんだけど、 でも、あの幻想的な雰囲気はとても印象的、修道院が舞台だったよね (・・・って、もいちど、観直すべきだろ、どか)。 M先生は鷹揚というイメージだったのだけれど、 話すと立て板に水という感じの切れ味を見せる人。 なんとなく、ボスの基本的な姿勢に共通する箇所が感じられた、 作者ではなく、読者ではなく、作品の意図を追求するとことか。
きょうは、みんなで軽く飲みましょうのお誘いを丁重に断る。 偏頭痛はきょうは少しましだったけれど。 昨日借りた「マザッチオ」をK特急のなかで読む。 iPodクンを、number girlからクラムボンへとスイッチする。 アヒトサンのドラムやチャコチャンサンのギターを聴きながら、 美術史の本を読むのは、不可能だもの。
|