un capodoglio d'avorio
2004年01月26日(月) |
野島伸司「プライド」(第3話) |
野島サン、がんばってるなあとホント思う。自分の表現したいことと、プロダクションから要求されることとを、ギリギリまでせめぎ合わせて、なんとか成立し得る点を探り続けてるなーって。ありがちなスポーツとラブストーリーの枠組みのなかで、それでも予定調和に堕さない自分の世界をなんとか織り込もうと試みる。
がんばってがんばって「くさび」を打ち込んでも、その「くさび」を突っ込んでそこから彼の世界を深化させて提示することは野島サンには許されない。本当に野島サンが表現したいのは、そこから「先」なのに。でもできない。突如、ズドンと重たくなる。一気にデッドエンドじみた荒涼とした風景を見せられたら、視聴者は引いちゃう。TBSの金曜10時ならそれは許されても、フジの月曜9時でそれは許されない。
だから、どかはせめてその「くさび」が打ち込まれた瞬間の響きを、余韻を、忘れずに記憶することをちゃんとしようと思っている。第1話から、野島サンはあきらめずそれを必死に続けているのだから、ただ、その、余韻だけを。
チームを辞めるようコーチから勧告された後輩に対して、ハルも同意。チームメイトは気色ばむけど、そこには何かハルなりの気遣いや意図があるのではと水を向ける亜樹。
ハル ないんだよね、とくに理由が ただオレはなんというか
亜樹 なんというか?
ハル ぬるいヤツと、ずるいヤツがきらいなの 1番を目指さないヤツ、むかつくんだよね 「自分が自分らしくあればいい」なんて、 ハナっからそういう言い訳用意してるヤツ もうヘドが出るんだよね
(・・・中略)
亜樹 1番になれないヒトだっているわ
ハル そんなこと分かってる 分かってるけど、オレが言いたいのはそこじゃなくて あきらめないで目指せってこと 「自分らしくあればいい」なんてさ、 限界まで目指したヤツだけが最後に言えることでしょ
(野島伸司「プライド」第3話より)
英雄的なキャラクターとしてのハルの裏側にあるのは、ひたすら寒々とした風景である。亜樹が「冷たい」と感じたのも、道理である。
亜樹 それがあなたのプライド? そんなの、誰も着いてくるはずないわ あなたには、誰も
(野島伸司「プライド」第3話より)
「そう、そこからもすこし、詰めてみようよ亜樹ちゃんっ」とどかが思った瞬間、ハルは茶化してこの「くさび」は、打ち込まれたまま残される。もちろん残されている以上、全く無駄になるわけではない。どかがちょびっと物足りないのは、いつもよりもテーマの深化が遅いというスピードの問題なんだよね。
ま、話がずれたけど。「優しい」とか「包容力」とか、そういうありがちな主人公像によく見える要素が全く無い、無いどころかセリフにしての全否定、マニフェスト。がんばったなあ、野島サン。「自分に厳しく、他人に厳しい」というこのキャラクター、どかは小説「スワンレイク」のアンを思い出す。アンは「情緒レベルの選民思想」という極めつけの思想を具現化したキャラクターだった。そして最後は自壊する。
ハルはどうだろう。「ゲームとしての」恋愛と宣言してしまった以上、亜樹にも出口を求めることは出来ない。ハルのプライドはこのデッドエンドを、どうクリアしていくのだろう・・・。
がんばれ、野島サン。
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