un capodoglio d'avorio
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2003年12月13日(土) つかこうへいダブルス2003「飛龍伝」<大阪厚生年金会館2>

(続き)


○ ネズミ…高卒の全共闘闘士・上京後すぐの神林と一時同棲:小川智之


  ネズミ そんなお金持ちの東大のお嬢さんだったなら、
      最初にそう言ってくれなきゃさ
      オレ言ったよね、オレ、バカだしオレたち正直に本当のこと言って
      仲良く生きていこうねって言ったよね

     (つかこうへい「飛龍伝」より)


めがねをかけ続けていた神林をブスだと罵っていたネズミが、彼女の美しい素顔を見、彼女の優秀な素性を知った時の台詞。つかの戯曲において<権力構造>はとても大きな比重を占める。強者と弱者の関係がおしなべて全てのシーンに敷き詰められている。例えば「蒲田行進曲」であれば、スターさんと大部屋俳優。例えば「熱海・モンテ」であれば、五輪代表選手と補欠選手。もちろん「飛龍伝」においても然り。大学のエリートである全学連闘士が強者であり、中学出のバカである機動隊が弱者という構造は代表的なもの。けれどもこの<構造>とは何も、そのような社会的な職業や立場に限ったことではない。友情や恋愛、個人的な繋がり、そんな一見対等な関係にみえる中にもこの<構造>は、必然的に不可避のものとして入り込んでくる。

この台詞は、それまで「君と暮らし始めてオレ幸せ」とか言っていても、神林のことを分厚いめがねをかけたブスだという蔑みがあり、この卑俗な感情の裏打ちによって保たれた平衡が、一気に崩れる瞬間である。この娘はブス、オレは高卒、そんなコンプレックスの綱引きによって得られる平安。しかしこの綱がちぎれてしまった時、<権力構造>は露わになってしまう。自らの劣等感と向き合わざるを得なくなったネズミは、さらに、自らどうしようもなく神林に恋していることも自覚してしまう。このダブルバインドによって金縛りにあったネズミは、圧倒的強者である桂木からリンチされる。しかし観客の胸を締め付けるのは彼の肉体的苦痛ではない。ダブルバインドに囚われたネズミの中、精神の卑俗な闇のねじれによる苦痛こそ、観客を締め付ける震源だ。「私たちの中にも、あの闇は、ある」と、直感してしまうからこそ、リンチを受けるネズミの横顔に涙するのだ。逆に言うとここで「もし」、絶対的強者である桂木が現れなかったら、あのダブルバインドはより残酷に神林とネズミを切り刻んでいたことになる。そして劇作家つかこうへいは、この「もし」を劇後半、現実のモノとして観客に提出する。この絶大な演劇的破壊力を生み出すメタ的伏線の張り方こそ、つかこうへいの恐るべき構成力の発露である。

小川智之サン、なかなか良かったと思う。北区の若手のなかで唯一、愛嬌という引き出しをもつ器用さを持ち、また身体の軸も決まってきたからネズミという大役も回ってくる。「飛龍伝'94」の木下サンには比ぶべくもないけれど、近い資質を感じる。蹴られながら「言っちゃダメだ、オレ君と別れたくないっ」という叫ぶ声の響きに、どかは最初の涙を流す。



○ 猪熊虎象…第1機動隊隊長・山崎の親友:清家利一


  猪 熊 朝から晩まで土方みたいに働いてるわしらの給料が七万で、
      酒くらって昼頃まで寝てるお前等の仕送りが十三万
      そんな奴らの言う「革命」なんて誰が信用できるか!

     (つかこうへい「飛龍伝」より)


エリート然とした全学連の幹部と相対する、機動隊・猪熊が「貧乏人が東京に来るんじゃネエ」と罵倒されたあとの有名な台詞。強者・学生vs弱者・機動隊という構図は、この猪熊のコンプレックスの爆発で一気にひっくり返される。強者が恐れるのは、弱者がコンプレックスに開き直る瞬間である。そのとき、強者はなすすべがなくなる。悲劇のヒーローとして描かれることの多い学生に対して、悪役として描かれやすい国家権力の権化・機動隊だが、実際の現実は、例えば、学生なら理想に殉じることでヒーローを気取れるけれど、機動隊は仕事として給料分は学生を弾圧しなければならないという切なさがある。一般的なイメージである強者・機動隊に対して弱者・学生という地点ではなく、敢えてそれをひっくり返した地点からものがたりを書き下ろしていくつかの洞察には、ほとほと感服せざるを得ない。だからこそ、機動隊圧勝という結末に終わる11.26の最終決戦が、重層的なマイルストーンとして起動するのだ。

JAEの清家サンは、さすがの殺陣の実力。筧サンの殺陣がどっちか言うとギャグ寄りだったのに対して、警棒の本当の使い方を見せてくれた。また、伝兵衛までやってのけた実力者でもあり、「飛龍」屈指の強い言葉である上記の台詞、任せるとすれば清家サンしかいなかったのも頷ける。まだ、山本亨サンのレベルには到達しないモノの、最も近いところにいることを証明する説得力。かっこいいなー。



○ 桂木順一郎…全共闘作戦参謀長・神林の恋人・山崎の幼なじみ:春田純一


  桂 木 美智子、心配するな
      必ず迎えに行く、オレたちを引き離すものなんて何もないんだ

     (つかこうへい「飛龍伝」より)


「機動隊の配置図を盗み出すために、機動隊隊員の部屋へ潜伏し同棲する」という下劣な作戦。全共闘の幹部たちは平の組織員となった桂木に対してこの作戦を、彼の恋人である神林に命令しろと迫る。それが、泊の妹を見殺しにし、横浜国大の伊豆沼の妻を半身不随にさせたことへの償いであり、桂木自身が作戦参謀長へと返り咲く条件であると言うのだ。追いつめられた桂木は神林を指さし「この女だ!」と叫ぶ。このセリフはそれに続くもの。ここにつか一流のねじくれ曲がった欲望のるつぼが見える。神林のことを全共闘の学生達は等しく愛しいと感じているが、その愛しく思う偶像(アイドル)としての神林を一方で激しく、憎み卑しめたいと思ってしまう。しかし人間の品性を全て破棄したことを宣言するに等しい下劣なこの命令を、自ら神林に言うことはできない、怖くてそんなこと言えない。だからこそ、学生達は神林とつき合っている桂木を利用した。ここにおいて学生の幹部達は、桂木の作戦参謀長へ返り咲きたいという虚栄心に訴えているように見えるが、実はそうではない。

そうではなく、桂木の恋心に、学生達は賭けたのだ。その相手を愛しく思う強い気持ちがあればこそ、逆にその相手に卑怯下劣な仕打ちをすることにも耐えられるだろう、と。ここにも恋愛における権力構造が見える。相手を愛しく強く思うということは相手に否応なく惚れてしまっているという弱みに転換される。そこにおいて、惚れさせた強者は神林であり、惚れた弱者は桂木だ。そしてこの弱みが、牙を剥く。だからこそ「心配するな」という厚顔無恥な言葉を継ぐことが桂木にはできるのだ。強烈な愛情と強烈な憎悪は紙一重でのみ隔たれているだけであり「愛憎半ばす」という曖昧な定義で片づけられない。ともかくも「桂木の恋心こそ、神林を貶める唯一の鍵」という、このねじくれ曲がった感情の綾が、一見行き過ぎた理想への殉教のように見えるこのシーンの底辺に流れる真実。

つかこうへいは自身の戯曲において、たびたびこの逆説の<権力構造>を持ち出すことからも、生涯のテーマととらえていると思われる。「広島に原爆を落とす日」でも、主人公の男が原爆のスイッチをおす唯一の拠り所が、そのスイッチを押すことで殺すことになる女性への激烈な恋心であった。「蒲田」の銀ちゃんとヤスもそうだし「ロマンス」のシゲルと牛松もそうだ。そこにおいて、恋心とは爪をはがされるかのごとくな痛みや精神がひきさかれそうなほどの惨めさをもたらすものでしかない。「そして、それでもお前は・・・?」と問いかけるのが、つかの神髄。桂木は、御大春田サン。大阪では東京のキレの無さはきっちり修正、この惨めな恋心をしっかり抱きしめる腕力を発揮して、頼もしかった。それでこそ、ジュンジュン!



○ 泊平助…早稲田大学委員長・桂木に妹を見殺しにされた:小川岳男


  神 林 なんで私が革命の犠牲にならなきゃいけないの?
      あたし四国に帰る
      お母さん、助けて、助けて
      イヤ、イヤ!

   泊  神林しっかりせんか!<殴る>
      組織が決断したことだ

  神 林 ・・・取り乱しました
      泊さん、いつも助けていただいて感謝しております

   泊  すまん・・・!

     (つかこうへい「飛龍伝」より)


桂木から先の命令を告げられた神林のシーン。神林はここで錯乱し、泣いて逃げ出そうとするが学生たちに取り押さえられる。それをなお振りほどこうとする彼女を、狂気にとらわれた学生の中で唯一、誠実で実直かつ理性を保つ神林の理解者・泊が断腸の思いで諭す場面。このシーン良かったな。どかは大好きだったよ、ベスト3に入るね!だってこの開演1時間ほどたった後のこのシーンこそ、2003年バージョン「飛龍伝」開幕を敢然と宣言したのだとどかは思うもの。まずびっくりしたのが、錯乱して弱さをさらけ出す神林。これまで'94の石田ひかり、'01の内田有紀はともに、このシーンはグッとこらえてあくまで凛々しく桂木の下劣な命令を受け止めていた。理想と現実に挟撃され、男社会に翻弄され、それでも負けず凛々しく立つ力を、それこそ聖なるジャンヌダルクとして生きる神林美智子を演じてきた。しかしつかは今年、神林の弱さにフォーカスを容赦なくあてた。だから今回の広末のことを「線が細く弱くてダメ」って言う人がつとに多かったようだが、そういう批判はあたらない。つかはだって、そのように神林を演出したのだから。

そしてつかはさらに周到に、彼女の弱さをサポートするキャラクターに、小川岳男@泊平助という絶妙なキャスティングをする。'01には第四機動隊隊長までつとめあげた、つかの秘蔵っ子は、とにかく誠実であり優しく強い個性という演出を受ける。しかしこの「すまん」はグッとくる。妹を機動隊の弾圧で失っている泊が「組織が決断したことだ」というのだ。先の猪熊のセリフが機動隊の悲しさを十全に語り上げるものだったとすれば、このシーンは全共闘の学生側の悲しさを結晶するシーンである。ちょうど劇中盤のこの場面において「飛龍伝」の世界は土壌として成立し、ここから物語はグッとうねりはじめる。

どかは神林の「お母さん」で既に号泣だったのだけれど、その後の泊のこのセリフでノックダウンだった。しかし、下劣かつ悲惨な学生側の現実にあってこの泊と神林の邂逅とは、美しい唯一の帳のように観客の心のなかにそっとかかるのだけれど・・・、クライマックス、この帳が一気に翻される。劇作家つかこうへいの、計算し尽くされた恐るべき構成力である(このことは後に検証したい)。


(続く)


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