un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年11月23日(日) つかこうへいダブルス2003「幕末純情伝」<千秋楽>

(続き)

「幕末純情伝」千秋楽、といっても2日後にはすぐ「飛龍伝」の初日が開くのだけれど。どかは二階席の後方の席。そしてどかのさらに後ろには当日券立ち見の人々がずらーっと。100人からの立ち見が出たらしい、すごい。予想通り、千秋楽はパフォーミングアートとしての「出来」から言えば、昨夜の舞台よりも劣っていた。みんなキャストは少し力みが見えたし、珍しく筧サンが台詞かんでたし、広末は決め台詞をとんでもない言い間違いしてたし、他の役者もキッカケを外したり、乱れてた、いろいろ。でもそれでもこれが最後だっという役者の熱い思いは全てをフォローしてあまりあるくらいジーンと伝わるし感情移入に邪魔になるほどの失敗は無かったから大丈夫(にしても、広末のトチリはヤバかったかと)。


坂本龍馬:筧利夫('03) = 筧利夫('99)

「地上最強の舞台役者」がようやく本領発揮。昨年の「透明人間の蒸気」はいま思えば、一年後のこの舞台のためのウォーミングアップだったのかと思うくらい、見違えて絶好調に見える。スピードとキレ、台詞を発するときの集中力、決め所全て外さない舞台勘、それらを最初から全開で持続させてしまうスタミナ。これらの要素に関してはまちがいなく、日本最強である。観客は坂本龍馬の一挙手一投足に目を奪われ、坂本龍馬の機関銃のように速い台詞の一言一言に心を吸われる。筧サンは加速なんてしない、ゼロの静止状態からいきなり次の瞬間、トップスピードに入ってしまう。普通そんな役者を観てたらあっけなく振り切られちゃった観客は、呆れて傍観するのが普通なのに、筧サンは自らの愛嬌と、裏返しの狂気によって観客の脱落を許さない。だから、最後まで閉じられた青山劇場というサーキットを次々コースレコードを連発しながら爆走し続ける筧利夫というGPマシンに追いすがって引きずられて、腕と脚と心に擦り傷をつくりながらアスファルトにたたきつけられて、なお、その手を離すことができない。閉幕のそのときにはもう、ヘトヘトである。手足の擦り傷には血が滲んで痛いし、心の擦り傷には涙がしみて仕方がない。でも、不思議と嫌な感じがしない。むしろすがすがしい。これは名誉の負傷であり、つかこうへいと筧利夫という最強タッグのスピードに最後まで食らいついていけたという勲章でもあるのだ、と誇らしくすら思える。しかも今回、筧サンはひとりぼっちじゃない。春田サンもいるし、亨サンもいる。銀之丞はいないけれど、確実に華の「点」が「線」になりそして、「面」になっていきキャパ1000人を超える青山劇場を全て染め上げていく。もしこの世に筧利夫という役者が現れなかったら、劇作家つかこうへいは今日このポジションにいられただろうか?つかこうへいの「強い」言葉は「強い」役者の身体をかりなければ現実化出来なかっただろう。この役者の存在に誰よりも感謝しているのは熱烈なファンでも評論家でもなく、つか、その人じゃないかなあ。逆説的だけれどきっと、筧サマあってのつかこうへい、というのがきっと事実だったりするのではないかと思うどか。・・・ところで、どかが一番好きな龍馬の場面は、ごっついベタやけど名物シーン<ジェットストリーム>だったりする↓。


  龍馬:しかしあなたは、僕の苦しみを知ることはありません
     僕の切なさを知ることはありません
     それは僕の震える心が、風に揺れる水辺のスミレの花にも似て、
     か弱いものだからです
     しかし僕はいま、荒野のライオンです
     二万光年の銀河の果てから舞い戻った、
     傷だらけの宇宙飛行士です
     孤立を恐れず、孤独に陥らず、金色のたて髪を怒らせている、
     そう、僕はいま、熱いライオンです!

 (つかこうへい「幕末純情伝」より)


沖田総司:広末涼子('03) > 藤谷美和子('99)

広末、健闘。キーワードは「つか的せりふ回し」「感情の重み」そして「スタイルの良さ」だ・・・。99年は藤谷"天然"美和子が総司役だった。どかは舞台に涙しつつも「主役があれでいいのだろうか?」と疑問に思ったものだった。せりふ回しはヘンだし殺陣も弱い、雰囲気はあるけど・・・って。きっと藤谷がつか自身の演出を、ついに受けることが無かったのが大きいんだと思う。でも、今回は鳴り物入りの<ダブルス>である。「幕末」の稽古と「飛龍」のそれを一日おきに積むことができたのが、体力的精神的に辛かったとしても、彼女のためになったということだろう。「飛龍」で受けたつか演出が、「幕末」の出演に生きているとしか思えないもの。つか独特のせりふ回しが板についてきている、これって驚異的だ。確かに殺陣は弱い。キルビルのユマ・サーマンのが25倍くらい、しっかり刀が振れていた。スピードも遅い。身体も感情も、切り返し(サイドチェンジ)に少しもたつくことがある。その点では、前代つかヒロインの内田有紀に及ばない。けれども、内田には求めようもなかった感情の重みを広末は持っていた。どんなに良い台詞をもらっても内田が話すとフワーっと流れてしまっていたのが、広末はきちんと舞台の上に楔として打ち込むことができる。主役としての定点を形成することが出来る。この点だけでもう、どかはとりあえず彼女はヒロインとして合格だと思った(内田は主役ではありえないと思う)。そりゃあまだまだっすよ、いろいろ。前々代つかヒロインの小西真奈美と比べたらまだまだ感情の説得力も薄いし、次代(とどかは信じてるのだけれど)つかヒロイン・金泰希と比べると凛々しさ、切なさの点でいま一歩だ。でも彼女はこれが、つか初挑戦。このあとの「飛龍」に臨む際ののりしろの大きさに期待したい。そして最後に、スタイルの良さ。うん、かっこいいな、ほんっとに頭が小さくて手足が長くて、舞台映えするのねー。某龍馬役の彼と比べると(以下略)。


  総司:海舟、帰って帝に、我が弟に伝えよ
     国家百年の大計を成す者は、
     人の心の誠を知れと、人の心の哀れを知れと
     弟にきっと伝えよ
     女、恋に狂わば歴史を覆すと!

 (つかこうへい「幕末純情伝」より)



どかは99年にこの舞台を観たとき、テーマとして釈然としない部分が残ってそれを部屋に持ち帰ってウンウン考えてある落としどころを見つけた過去がある(参照<「志」の所在について>)。そのどかの解釈は、いくつもある答えのなかの一つとして正解だったと思うのだけれど、きょう、舞台を観て例によって号泣しながら「あ」と判ったことがあった。一気に、サーッと霧が晴れていくかのような感覚があった。初めて「幕末純情伝」という舞台が理解できた気がした。

いままで霧に包まれていた原因は、どかが「幕末」を「飛龍」の江戸時代版と捉えていたからだと思う。その錯覚は明らかに、同じ筧利夫主演だから、ということに拠るのだろう(つか戯曲のなかで筧サンが演じたのはこの2つのみ)。でも、「幕末」は「飛龍」とは全く劇構造が違う。そうではなく、「幕末」と同じ、もしくはかなり近い劇構造を持つ戯曲とは、「長嶋茂雄殺人事件」だったのだ。そうだそうだ、そうだったんだあ。つまり、こういうことだ。「長嶋茂雄殺人事件」のドラマツルギーの中核とは、

時代のカリスマかつ戦後最大のスターである長嶋茂雄を殺せるとしたら、
それは一体どんな「意志」であり得るのだろうか?


ということである。それを江戸時代風に換骨奪胎すると、

時代のカリスマかつ幕末最大のスターである坂本龍馬を殺せるとしたら、
それは一体どんな「意志」であり得るのだろうか?


というわけだ。生半可な安っぽい動機で凶刃にかけていいヒトじゃない。龍馬は薩長同盟を成立させ、江戸城無血開城の立役者となった幕末の志士のなかでもとびきりのスターである。一国を覆すほどの華を持つ龍馬を殺すには、それ相応の覚悟というものが求められるはずだ、という演劇人つかこうへいの洞察は、その覚悟の落としどころを女・沖田総司に求めた。総司が皇家の長女であり、かつ河原者でもあるという構造。殺人集団新撰組の一番隊長であり土方歳三の女でありつつ、かつ志高く理想を語る時代の寵児・坂本にも惹かれてしまう。そのように二重に引き裂かれた裂け目に立ちながら、それでも真っ直ぐ一文字に太刀を振り下ろすために立ちつくす、女・沖田のその切ない横顔に、つかは究極の「覚悟」を見いだしたのだ。引き裂かれた自らを、そのまま受け入れる度量、それは男には無理だ。沖田総司を女にする必然がここに生まれ、この瞬間、「幕末純情伝」という問題作は世に落とされたのだ。あー、ようやく、分かったよー、なるほどなー、んーなるほどー・・・。これで、序盤中盤の若干中だるみしてしまうシーンの存在意義も、全て了解できた。時代のスターを斬る「意志」を生起させるために、幾重にも重なる裂け目を淡々と総司の上に刻む必要があったんだね。スター至上主義に則ったプロット。それはつかこうへいの神髄。

というわけで、昨夜、きょうと涙腺決壊しまくりのどか。千秋楽のカーテンコールとなり、どかはもちろん、例のアレを期待する。そう、つか芝居楽日恒例の「予告編」だ。おねがいします、やってくださいー・・・と祈りながら拍手し続けていたら、フッと舞台袖に現れる武田サン。「おまたせしました!予告編、飛龍伝ですっ」やったああああ!!!そうしていきなり流れる「あの」パッヘルベルのカノン!もうこの音楽だけでどか、号泣。もう、我ながら恥ずかしいけれど、この音楽は即、桂木と神林が共に「世界革命戦争勝利のためにー!」って叫ぶあの屈指の名シーンを思い出させるんだもんー。そして、飛龍に出演しない幕末オンリーの役者サンたちも含めて、懐かしいシーンのさわりが次々と・・・。うー、泣けるう。ああ、本当に、本当に、飛龍伝が観られるんだあ。いま思えば「新・飛龍伝」はあくまで別の戯曲。これがホントの飛龍伝!BGMが冬のライオンに変わりいよいよ登場、筧利夫@第四機動隊隊長山崎一平!春田純一@作戦参謀本部長桂木順一郎!

ってか、山本亨サンと鈴木ユウジサン、飛龍に出て欲しいよう。やっぱり第一機動隊隊長は亨サンじゃなくちゃだよう。ひーん、亨サン、もっと観ていたいよう。ひーん・・・。

感動の予告編のあと、何度目かのカーテンコール、青山劇場の観客席はオールスタンディングオベーションとなった。どか、生まれて初めての、オールスタンディング。筧サンもびっくりしてて、広末はもう感極まってたらしく、目を真っ赤にしてて可愛かった。どかも感動した。キャパ1200人の国内屈指の劇場の、超満員の観客全てが立ち上がって拍手するということ。その一体感。99年の千秋楽でも、スタンディングにはならなかった。ホントに、ホントに良かったなあ。一点の曇りもない感動の嵐というのは、あの客席のあの空気のことを言うのだろう。土方がイマイチでも、総司が決め台詞トチッても、海舟が脚を怪我してても、何か人知を超えた超自然的な力が降りてきて舞台を満たしていたとしか考えられない。

降臨したのが神であろうと、悪魔であろうと、惚れさせてしまったらこっちのもん。つかこうへいと、筧利夫はそのことをきっと、知っていた。



↑年末はつかムード一色な青山劇場、「蒲田」を思い出したりもする


どか |mailhomepage

My追加