un capodoglio d'avorio
2003年09月17日(水) |
維新派「nocturne - 月下の歩行者 -」2 |
(続き)
短く区切られた、言葉のカケラが、音楽にのって飛んでくる、 足拍子がこれも、変拍子、そして身体は身体であることをまっすぐ主張して。 30人以上の役者が一斉にそのリズムで動いて、 ひとつのイメージのもと、歌う。
そして、開演後10秒。 気づくとどかはもう、泣いていた。 最短記録、更新。
まだどんなストーリーも展開していない。 まだちゃんとした台詞はひとつも響いていない。 そこに役者の強い眼差しがあるわけでもなく、 演出家の研ぎ澄まされた理知の力があるわけでもない。 つか芝居や青年団で流す涙とはまったく別次元の涙。 でもこの涙はどこかしらなつかしい。 閉幕後、どかはようやくそのなつかしさの原因が分かった。
アラスカだ・・・。 フェアバンクスの丘で、あのオーロラのブレークアップを観たときの涙だ。 絶対的な何か崇高でとんでもないものを、 想像力の追いつかない超自然的な何かを観てしまったときの。 圧倒的な広がりに微細な理性のスケールでは振り切られてしまったときの。 あらゆる感情とは無関係に、もっと前段階で涙腺に衝撃を受けたときの。 悲しさも楽しさも嬉しさも辛さも追いつけないくらい速い、涙だ。
その後も、松本雄吉は観衆の感情という意識の段階ではなく、 無意識の層をはなからねらい打ちにするようなイメージを繋げていく。 とにかくとんでもないほど、凝ってお金がかけられていて、 巨大でそれがぐりぐり動いて、ある種の美学に統一された舞台美術は、 まちがいなく、維新派のひとつの売りである。 そしてその町並みをそのまま再現してしまうかのような舞台美術は、 全て、役者で出ている劇団員の若者たちが自ら作り上げたものなのだ。
この舞台美術の完成度の高さも含めてだけれど、例えば、 この維新派の劇団員たちが、本番前の稽古に入ると、 劇場横の工場跡などに巨大なバラックを形成してそこを「飯場」とし、 炊事洗濯就寝をそこでみんなとするという共同生活場にしてしまう。 この維新派の代名詞とも言われる「飯場」の例にしてもそうだけれど、 どんな細部を取り出してきても、全てが奇跡としか思えない、 この舞台は、そういう舞台なのだ。 ありとあらゆる全てのパーツが奇跡だからこそ、 総体的に観ると、逆にスーッと納得させられるのかもしれないなあ。
にしても・・・やっぱり本物の月明かりの下でこれを観たかったなあ。 既存のハコの劇場の中に、 維新派が体現してきた「自然の脈動」を持ち込んだことは、 やはりスゴいことだと思う、迫力が違った。 また、これをハコに入れるなら、そのハコはこの新国立の中劇場でないと、 いけなかった理由もよく分かった (舞台の異様な奥行きと高さ、回りテーブル含む可動式舞台など)。 でも、夜の月夜のシーン、青いライトに照らされて美しいけれど、 どかは2年前の夏、おかんと一緒に行った室生の闇を思い出したよ。 どんな劇場の「暗転」も、自然の山の「暗闇」には適わない。
でも室生の「さかしま」と比べると、 より繊細で美しく整えられた様式美を堪能できるのかも知れない。 そもそものベースのスケールが、とにかく、 他の演劇と呼ばれるジャンルの舞台とははなから勝負にならないのだし。 今回も例によって、ストーリーはあまり頭に残らない。 強いて言えば「満州という国家の悲しい祝祭」?みたいなことなのだろうか。 でもそんなストーリーの奥にある、ある種の大きなイメージ、 人知れぬ山奥で地層が洗い出されてそこから化石が頭を出してるけれど、 だれもそれに気づかないまま、その化石の頭クンは毎年毎年、 モンスーンに濡れている、みたいなイメージはどかの頭にねじこまれた。 あくまで意識上の感情というレベルではかるべき舞台ではない。 意識下の言葉を介さない領域でイメージとして感受すること。 宗教的体験にも準じる体験なのだから、 禊ぎのように自らのコンディションを整えることが必要。 維新派が人里から遠く遠く離れたところで公演を打つのは、 おそらく、観衆にその「調整」をさせる意味もあるのだろう。 この舞台を観たあとでは、そんな推測すらも真実味を帯びてくるから不思議だ (余談だけど、どかはこの公演を観た夜から、もともと引いてた風邪が悪化、 熱は景気よく上がって39℃目前に到達し二日間、立てなくなる、 当たり前だ、弱ってる体にあんなに強い光を入れたらくたばっちゃうよ)。
維新派のスタイルについては「ジャンジャン☆オペラ」であるとか、 「シティ・ケチャ(ケチャはバリ島の芸能)」、「関西弁ラップ」とか、 いろいろな形容がなされてきた。 でも、これらの言葉も、分かったようで分かんない話だし (どかは「シティ・ケチャ」は言い得て妙だとは思うけれど)、 どんな人が書いた文章でもどこかしら混乱をきたした跡が残っていて、 そしてその事実こそが、維新派の素晴らしさを直接証明しているのだと思う、 あの体験は、言葉に落とすことは難しい。 あの体験を感受できなかったヒトは、言葉に残そうとは思わないだろうし、 感受してしまったヒトは、その経験の言葉のレベルの超え具合に途方に暮れる。
ならば否定形で語ってみる。
これは演劇ではない(述べたとおり)。 これは舞踏ではない (舞踏は身体の内側の隠されたイメージの表出、 維新派の役者は行進したり逆立ちしたり走ったりもっと、単純シンプル)。 これはミュージカルではない (歌詞らしい歌詞にはならない、時々、 日本各地の地名などの単語が連発されたりするが、 大体は、コンコンコークシャ、など、発話ではなく、発語というレベル)。 これは・・・維新派、である。
あんなものを観たことがあるのとないのとでは、 人生に差が出るのは確か。
それから自分が恥ずかしくなる体験とは、 情けないけどすがすがしいものだ。
批評を超えるもの、 それは人類は時として途方もないことをやらかし、 奇跡を起こす、 という希望のようなものに違いない。
(吉本ばなな「松本雄吉さんよ!」〜「ばななブレイク」より)
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