un capodoglio d'avorio
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2003年09月11日(木) クリムト・1900年ウィーンの美神展@兵庫県立美術館

やあっとおわったあっ!
と言うわけで、一昨日と昨日の某大学院の入試が終わり、
ぽやーっと、目が覚めてきょう。
リビングのPCをパチパチたたきながら、どしよっかなー。
とボケボケしつつめぼしい展覧会あらへんのんかなーって。
週末までおられたらなー、大阪市美で「応挙」やるのになー、ちぇ。
と思いつつ、吹田の民博と悩んだけど、こっちにする、遠いけど。



↑安藤モダニズムその1<渦潮>


クリムトは、どうしてこんなに人気があるのだろう。
印象派は他の国民と比べると、明らかに日本での人気は異常だけれど、
クリムトに関しては、ヨーロッパではまんべんなく人気がある気がする。
あと、母校の美術史教授が言ってたのは、
「毎年毎年、必ずゼセッション(ウィーン分離派:クリムトたちのこと)で、
 卒論をやりたいという学生がいますねー、何でこんなに人気があるの?」。
でも、どかも、クリムトは時々いいなーって思う。
思うけど、彼に近しいエゴン・シーレをどかは命を懸けて好きなので、
どうしても比べてしまって点が辛くなってしまう。

例えばポスト印象派(この言葉の定義も微妙だけど)の有名人2人、
ゴーギャンとゴッホの関係と比べてみると、
クリムトはゴーギャンに近く、シーレはゴッホなのだと思う。
前者2人は平穏な「死」をタブローに浮遊せしめてアウラを贈呈された。
後者2人は苛烈な「生」をタブローに刻印せしめてアウラを強奪したのだ。
もちろん、ゴーギャン・ゴッホはそれぞれ色彩に拠っていたし、
クリムトとシーレはそれぞれ線に拠っていたのだけれど、
国や表出方法の如何に関わらず、シーレとゴッホのテーマは似通っていた。
どかは、勝手にそう思っている。



↑安藤モダニズムその2<典型>


と、いうわけで、今回の特別展「クリムト」は、どかにとってイマイチだった。
2つほどクリムトの傑作が来てたけれど、あとは一級品では無かったし、
なにより、もっと持ってきていいだろうシーレの油彩は一点きりだったし
(でもなんとシーレのそれは≪抱擁≫という代表作のひとつだった!)。
≪ベートーベンフリーズ≫の原寸大のレプリカを使っての展示は、
工夫してるなーとは思ったけど・・・。

そう、どかは学芸員資格のスクーリングを受けたから、
否応なく、展覧会を観る視点が変わってしまった。
今回のクリムトも、なんでこんな視点基準線が高く設定されてるのだろう。
とか、ライティングは巧いなー、ぜいたくなスペーシングだなー。
とか、このキャプションは、どかならもっと上手く書くぜ。
みたいな(例によって、えらそうなどか)。
でもでも、誓って言うが、この視点の変化のせいで、
クリムトの作品を観る目がくもったかと言えば、神掛けてそれはない。
あくまでクリムトの作品がどかにとって、それほど吸引力が無かっただけだ。

はあ、せっかく試験終わったご褒美なのにー、ってがっくししつつ、
常設展を回ることにしたら・・・どびっくり、こっちのが全然面白い。
日本有数の小磯良平と平山平三のコレクションは文句なし、
一級品の名作揃いで、固唾を飲むとはこのことねって。
とくに、小磯の静物画と、平山の林の紅葉を描いた作品は、素晴らしい。
すごいなー、特別展より、常設展のが全然いいのって、
ある意味、理想だよなー、学芸員としては。
と思いつつ、展示方法も全く理に適っていて、
どかがここの学芸員になれたとして、コレと同じ仕事ができるか。
と自問自答して、ちょっと悔しくなってしまった(相変わらずの自意識過剰)。



↑安藤モダニズムその3<郷愁>


常設展のなかの「美術の中のかたち」という展示はさらに楽しい。
楠や、シュロの縄で編んだオブジェ、ブロンズの彫刻などを、
実際にさわったり、乗ったり、くぐったり、歩いたりして、
触覚で美術を感じて下さい的なありがちな展示だけど、
どかは成功している例を初めて知った、素晴らしいな、ここのヒトわ。

常設展も見おわって、ようやく、ここの美術館自体が、
あの世界の安藤忠雄の設計であることを初めて知るおまぬけどか。
美術館の建築を堪能できるように、外側に回廊や階段が張り巡らされていて、
もちろんその通路(機能)が、建築自体の外見(美)を損ねることなく、
うまーく組み合わされていることに、改めて感心。
やー、未だに<モダニズム>にこだわり続けるというアナクロニズムは、
安藤サンにだけ赦された特権だよなー。
と、ガラスやコンクリ打ちっ放しや、曲線や直線の組み合わせに、
フムフム頷きながら徘徊するどか。

<モダニズム>という人工美が、決して排他的な閉塞性へと向かわず、
神戸湾や六甲山といった自然へと開かれていることこそが、
唯一、安藤忠雄という建築家が拠って立つ才能である。
でもこの一点のみで、充分世界の建築史に名を残せるんだねー、うんうん。



↑安藤モダニズムその4<へたりこむナル1匹>


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