un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年08月12日(火) 扉座「きらら浮世伝」

前に勤めてた会社の同期、キタポンとソワレ観劇@紀伊国屋サザンシアター。
この戯曲の初演は15年前のセゾン劇場で、座長横内謙介サンが満を持しての再演決意
(多分、つかにおける「飛龍伝」くらい重みのある戯曲なのだろうな)。
初演時のキャストがすさまじくて、中村勘九郎、川谷拓三、美保純など、
時代も時代だけに、当世一代の豪華なハコに見合う豪華な役者、バブルの結晶だね、
・・・いや、ワルイ意味じゃなくて、うらやましいという意味で。

実はこのレビューは随分日にちをおいて書き始めたので(きょうは9月14日)、
本来なら8月半ばに上梓できたはずのそれとは、きっと文章が変わっちゃうな。
しかも、すぐレビュー書けないからと、某 tokuさんちの BBSで暴れちゃって、
そこで結構いろいろ書いちゃったしなー・・・もいちど、リセットして書きまする。

どかがこの芝居を観たかった2番目の理由は、横内演出の扉座ということ。
そして、1番の理由はもちろん主演の山崎銀之丞である。
とくにこの春の≪寝盗られ宗介≫で、不完全燃焼だった気がして、
それは相手役が不足に過ぎたという悪条件もあったのだけれど、
とにかく、痛々しい銀ちゃんじゃなくて「もっともっと」な銀ちゃんが観たかった。
今回は、演出を扉座座長に任せられると言うことで本業の役者に専念できるし期待してた。

結果から言うと良くも悪くも「まあまあ」、と言うしかないかな。
確かに≪寝盗られ宗介≫の時のようなセリフをこぼしてしまうような痛さは無くてホッ。
でも、トップスピードが乗らない。
いや、スピードメータ上でトップスピードはそこそこ乗ってるけど、
隣のタコメーターで、針がレッドゾーンに飛び込まないんだ。
ギリギリ、一番スピードが乗るところで上手にシフトアップをしていくから、
エンジンも悲鳴を上げることなく、スムースに舞台も進行していく。
演出の要請に良く応えて、舞台全体のスピードをも調整してしまうほど巧くなった銀ちゃん。
でもなー、銀ちゃんが舞台でやるべきことは、シフトチェンジじゃないと思うんだなー。
そこそこ華があってそこそこ経験を積んだ大抵の舞台役者なら、
そんな程度の巧さ、持ってるもん。
銀ちゃんにしかできないことは、アクセル踏みっぱなし、バイクならアクセルフルスロットル、
がんがんレッドゾーンに針を突っ込んで、エンジン焼き付くまで死んでもアクセル戻さない覚悟。
その覚悟こそを、どかは銀ちゃんに観たいのだ。

横内サンは戯曲においては平明な言葉を使って、
けれども響きが美しく残るセリフを書いて名匠の域に達していると思う。
≪いちご畑よ永遠に≫などの最近の戯曲では、
その美しさがノスタルジーに分かちがたく結びついていて、
あんまし好ましくない「いま」と、けっこう良かった「かつて」との、
はざまに戯曲を落とし込んでいくことにドラマツルギーを生み出している。
それが、この≪きらら浮世伝≫はさすが青年・横内サンの出世作だけあって、
とにかく「いま」、ひりひりする「いま」しか無いことが、
ストレートさ、もっと言えば余裕の無さを感じさせる。
そしてこの余裕のないせっぱ詰まったさ加減にドラマツルギーを与えている。

じゃあ、そのせっぱ詰まったさ加減満載の主人公、
蔦屋重三郎という人物を演じて、銀之丞はただ、ひたすら突っ走れるハズ・・・
なんだけど、なかなか上手くいかない。
それは横内サンの演出が大きいんじゃないかなあ。

どかはかつて(今でもだけど)、扉座という劇団を考えて出した結論に、
「キャラメル(ボックス)と、つかこうへいのあいだ」というのがある。
この≪きらら≫を観て、もう少し厳密にこの定義を補足すると、
「キャラメル風の演出と、つか風の戯曲」ということになるのかも知れない。
山崎銀之丞があんな風にスマートにまとまっていったのも、
きっと、横内サンの役者と役所の接点から舞台を立ち上げていくという、
「優しい」演出法によるんだろうな
(蛇足だけどつかは違う、
 つかは役所を無に帰しても役者の臓腑をえぐり出した上で、
 舞台に血化粧を施すのがつか演出)。
銀之丞の吉原大門によじ登っての長セリフや、
六角精児の笑いながらの切腹シーンには、
一瞬、ココロを動かされそうになりつつ、
ほとんど涙を浮かべつつもそれがこぼれなかったのは、
横内サンの、劇作家としての資質とは性質の異なる、
演出家としての資質が原因なのだろう。

・・・と、言う感じでお茶を濁してレビューを終えようかと思っていたのだけど、
ひとつ、引っかかることがあることに気づいた。

横内サンはひとつだけ、この舞台で「ノイズ」を布置していたのだ。
それは扉座劇団員の杉浦クン演じる鉄蔵(葛飾北斎)である。
銀之丞や六角サンといった、
レッドゾーンに飛び込む覚悟が持てる役者を抑えてでも、
座長はこの若手の「ホープ」にその覚悟を押しつけていたのかも知れない。
しかし・・・、その試みと期待は、明らかに裏切られている。

杉浦クンは確かにレッドゾーンに入っていた、それは認める。
でもね、ラッタッタにまたがってレッドゾーンに突っ込んでも、
たかが知れてるんだよね。
銀之丞や筧サンみたいな、そもそもの排気量が桁違いのエンジンが、
さらにレッドゾーンに突っ込んでいくことに、ヒトは異次元を観るのであって、
50ccのラッタッタが悲鳴上げてても、ミニパトに注意されるだけでしょう?
ちょっと耳障りなだけで、良い役なのに、勿体なかったな。
代わりに、銀ちゃんや六角サンや、
鈴木「元・伝兵衛」祐二サンに覚悟を託せば良かったのに(しつこい)。

頑張ってたのは鈴木祐二サンとヒロインの木村多江チャン、
余力をあましての名人芸は銀之丞と六角サン、
演出に緩さを感じたとしても戯曲はなかなかの佳作で、
総合的には「悪くない」ということになるのかな。

あー、銀チャン、秋の筧・広末の≪飛龍伝≫に出ないかなー。
あ、≪幕末純情伝≫ならば土方歳三役で出るかもだよね・・・、
つか演出で筧サンと共にもいちどレッドゾーンぎりぎりに飛び込んでくの、
観たいなー、観たいー。


どか |mailhomepage

My追加