un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2003年08月04日(月) 岡崎京子「恋とはどういうものかしら?」

どかは松本大洋も岡野玲子も岡崎京子も望月峰太郎も大好きだけど。
例えば松本大洋と岡崎京子にあって、望月峰太郎と岡野玲子には無いもの。
それはラオスの織り物のように緻密に編み込まれたかのような
短編を紡ぐ才能である。
実際、岡崎京子の単行本は短編集が多い。
そして長編が時にテンションが緩い作品があったりするのだけれど、
短編集はどれも、かなりテンションが高く、完成度も高い。
だが、しかし。

「ヘルタースケルター」「うたかたの日々」という
2つの幻の作品が華々しく単行本として発行された影で、
もうひとつ、この五月にひっそりと刊行された短編集。
あー、もうオカザキブームへ便乗して「いまいちクン」な出来の短編、
集めてきたんだろーなー、やだなー。
・・・って思ってたら、随分、ごめんなさいです。
面白いんだな、これが、まったく。
まだこんなに宝物は埋もれていたのか・・・

「ヘルタースケルター」や「うたかたの日々」みたいな、
圧倒的な加速度や深度を見せるわけではない。
例えばこの2つの傑作がそれぞれ、ベテルギウスとリゲルだとすれば、
「恋とはどういうものかしら?」とはその間にひっそり浮かぶ、
<NGC1976-7.M42>、つまりオリオン星雲だと思うの。
それぞれ全く違う性格を見せながら、けれどもちゃんと、
岡崎京子(=オリオン座)というひとつの世界のなかから派生する、
明かりのまたたきのその、ひとつ。

23個の短編が収録されていて、どれもが、平均以上の出来で面白い。
全てが「恋」がテーマである。
岡崎サンの短編に出てくるカップルは、というより女の子はよく、
相手の男の子に質問をぶつける(ぶつけてしまう)。

なぜ?

それは短編の中のキャラクターがいみじくも答えているとおり。


  質問は会話じゃないもの
  (岡崎京子「SLEEPLESS DOG NIGHT」より)


そういうことだね。
「ねえ、ワタシのこと好き?」とか、
「どのくらい、好き?」とか、
「誰より好き?」とか。
パッと聞くと、グッと勇気を出して踏み込んでいるかのような質問は、
実は、全然逆なのだ、お互いが「向き合ってしまうこと」を避けるために、
その質問は発せられ、それに男の子がけだるそうに答える。
その答え自体を欲しているのではなく、その女の子は(そして多分男の子も)、
そうやって、質問と答えというやりとりの中で、沈黙を、
その沈黙からあらがいようもなく見えてしまう「真実」を、
なんとか、いろいろ頑張ってやり過ごそうとしているに過ぎない。

だって、沈黙は全てを明らかにしてしまうから。
その全ては、けっして良いものではないから。
だって、全てとは、異常な倦怠であり、永遠の無為であり、
決して交わることのない二本の線であり、孤独なのだから。
明るいどん詰まり、ウォールペーパーを張っつけたかのような、
薄っぺらい、青空、脳天気な閉塞感・・・へいそくかん。

このあらゆる意味でゆるーい「行き止まり」を、
頭のどこかで把握しつつもできるだけそれを明確には認識したくないから、
質問をだすのね、女の子は。
だって質問をしたら答えが来るでしょ、
つまり、始まりがあって、終わりがある、そんですぐに始めれば・・・、
ほら不思議、「行き止まり」じゃない!!

でも、そんなの、ウソだし、ゴマカシだし、ズルだから、
うまくいかない。
うまくいかないから、せつない瞬間が、運命的に、ギリシア悲劇的に、
2人には訪れるのね。

「ヘルタースケルター」や「うたかたの日々」、あとはそだな、
岡崎作品の中で最も支持される傑作「リバーズエッジ」とかは、
彼と彼女が懸命に避けようとしている「真実」を、
白日の下に、ガンガンさらけだして、血を吹き出して、
その血で目を洗ってモイチド青空を見てみようぜい。
っていう、暴力的な凄みをともなう作品だったけれど、
本来、岡崎京子はそんな凄みを避けて、けれども避けきれない切なさを、
そぉっとすくい上げるような短編、これが冴えを見せまくる独壇場だった。

切ないよ、キゥーッとくる。

23個のなかからひとつ選ぶとすれば、どかは迷わず、
オールカラーのキラキラ光る美しい作品「Blue Blue Blue」を選ぶ。
岡崎京子のマンガで、どかはあんまし泣いたことがない。
ほとんど泣かない、うちのめされるけれど、涙はあんまし出ない。
でも、これはやられた。
町田市から小田急線で新宿に向かう電車の座席で、
どかはこれを読んでて「しまった」と思った。
もう、涙が止まらない、恥ずかしいったらありゃしない。
二駅くらい泣きっぱなしで、あんまし恥ずかしいから寝たふりしましょう。
って、リュックを膝にたてて、それに顔を埋めて嵐が止むのをジッと待った。
でもなかなか去らない。

「マンガ読み」もとい「オカザキ読み」としては、
それなりのキャリアを持ってるドカだけれど、
実は、何が、そのとき、そんなに自分を打ちのめしたのか、
自分のココロのどこを刺激されたのか、今でも良く分かってない
(実際にいま読み返しても、涙は出ない、なんだったんだろう?)。
でも「Blue Blue Blue」を薦めて読んでもらったら、
3人ばかしのどかの友人は、みんな、泣いてたから、
やっぱり何かがあるんだろう、うん。

「行き止まり」に気づいてしまったヒトは、
人妻サンは、学生クンは、そのとき、何を感じて、何を行動するのか。
きっと、この辺なんだろーけど、まだ、ちょっと、分かんない。。。

どかもエラそうなこと言ってるけれど、まだ、
岡崎京子の切なさに追いつけないのかな。
でも、あの時の涙の味は、忘れない。
恥ずかしかったけれど、それ以上に苦しかった。

なんで、あの涙は、あんなに苦しかったのだろう?


・・・


オカザキ入門として、とてもお薦め。
ここから入ると、スムーズにその後、代表作を読んでいけると思う。
是非。


どか |mailhomepage

My追加