un capodoglio d'avorio
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2003年06月26日(木) パコダテ人(映画)ー2つの極についてー

函館って、すっごいキレイな街で、学部時代、
憧れだけでひとり、ひょいッと訪ねたことがある。
あの大正・昭和初期のテイストの町並みのなかを抜ける路面電車。
朝の市場のおっちゃんもごっつい優しかったし、
ウニ丼もイクラ丼も美味しかったし、
土方歳三ゆかりの五稜郭もあるし、
港町を少し外れたらけっこう寂れてて、それも良かった。

そんな函館を舞台にした、コメディー。
ビデオで観たんだけど、なんといっても、主演・宮崎あおい!!
まあ、ふざけたタイトルから連想される通り、
ふざけたシチュエーションなんだけど、
でも、ちょっと、立ち止まって考えてみたら、
「おっと、意外に深いのね」みたいな。

そのシチュエーションとは・・・


  函館に住むひとりの女子高生のお尻から、
  ある日、しっぽが生えてきました。


っていう「おーいっ」と思わずつっこみたくなるような不条理。
でもたった1つの「ウソ」を作っておいて、
それ以外は全て「ホント」で囲むというこのプロット展開は、
ちゃんとすれば、とても大きな効果を時に生むよね。
そう、青年団・平田オリザが得意とする作劇法だ。

その「ホント」の部分をどれだけしっかり練り込んでいくかに、
物語の説得力は拠るのだけれど、そこは「パコダテ人」、
意外としっかりがんばってるのね。
コミュニティの中に異質なものが入ってきたときの、
その群衆の対応のしかたの「推移」という焦点で観ていると、
コメディなのに、背筋がヒヤっとするものを感じたりする。
うん、おもしろい、おもしろい。
最初は無視、それからワーッともてはやして一転、迫害が始まって・・・。
オリザならこれだけで舞台を仕立てるのだろうけれど、

「パコダテ人」ではこの「ぬえ」のように千変万化する群衆に対して、
決して変わることのない、美しい定点を配置するのだけれど、
またこれが、上手いなあ、とても上手い。
その定点とは、主人公の「家族」だ。
やっぱりどこかずれてるへんてこな家族なんだけど、
そのへんてこ具合が「ぬえ」と比べると、なんとまっとうに見えるのだろう。
家族愛とかいうと、くさくて、きもちわるーい感じだけど、
コメディでデフォルメを忘れてへんから、すっきり笑えて、
ちゃんと泣けるように作ってあるのが巧みだなあ。
最後、警察に包囲された時の家族の姿は、なかなか良かったあ。

さて、この「ぬえ」と「家族」という2つの極の間で、
翻弄されて悩み苦しみつつも、自分の足で立ちたいと思いがんばるのが、
我らが主人公、じゃなくて、どかのめがみたま、
宮崎あおい嬢なのだー(続く)。


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