un capodoglio d'avorio
最近、知っているヒトは知っているのだけれど、 どかの中の「偏向的アイドル格付け」に異変が起きている。 女神であり東の横綱(・・・)である上戸彩が、大関にランクダウンした。 ああ「あずみ」を観に行く勇気が無いからダメなのかな、 でも「高校教師」以来、彼女の輝きに触れてないし。
しかしものごとにはすべからく、相対的な面がある。 あやたん(・・・)のランクダウンとは、 同時にある女の子のランクアップを意味している。 というわけで前置きが長いけどいま、 どかのなかで不知火型土俵入りを決めてるのは、宮崎あおい!! 懐かしいねー、というのは一年以上前、 どかはすでにこの日記で彼女に反応してたのさ (参照→「めいくゆーキラキラ」ちょっと誇らしかったり)。 先日、アンアンだかノンノだかのページにモデルで出てたの、 あおいっぴ(・・・)が、それでもう、やられた (やっぱ疲れてるときは、アイドルっす)。
というわけで前置きが長くなったけど「害虫」、主演・宮崎あおい。
2001年・第23回ナント3大陸映画祭コンペティション部門 審査員特別賞&主演女優賞受賞 (←あおいっぴ)
というプライズ以上に、いろいろとキテる映画だったの、 もちろんビデオで観たんだけど。
プロット自体は、けっこうありきたりだったかも。 中学一年生の女の子、サチ子は他の娘から浮いてしまう女の子。 小学校の時、先生と微妙な関係になったり、 父親は早くに亡くして母親が男の家でリストカットしたり。 で、そんな噂が教室に広がって、なんとなく学校に行かなくなって、 港町のスラムで路上生活者やフリーターの少年と過ごす時間に安堵したり。 ひとりの友人の助けを借りつつ学校に一度は戻ってみるものの、 同級生の彼氏のデリカシー欠如や、母親の恋人に襲われたりと、 彼女の中の虚無感が広がり、路上生活者と犯罪に手をそめてしまう。 しかし、自分自身のやっていることが怖くなってしまい一路、 北を目指してヒッチハイク、小学校のその先生に会いに行く・・・
という感じ。 岩井俊二の「リリィ・シュシュのすべて」に通じるところがある (ああ、これもレビュー書かなくちゃ)。 ひとりの普通の女の子(男の子)が、この明るい闇夜の中で、 いかにして堕ちていくのか、どこにたどり着くのか。 そんなことがテーマなのだけれど、岩井サンが偏執的趣味性を基調に、 特異なまでに美しい映像と少しのセンチメンタルで撮ったのに対し、 「害虫」の監督・塩田サンは、もっとドライ。 岩井サンの映像ほど自意識がにじまない、でも普通に美しいカットで、 極力言葉による説明を排して、映像で語るという強い意識。 偏執的趣味性の代わりにスラムのジャンク的世界を補完的存在として据え、 できるだけセンチメンタルを排して撮った感じ。
・・・こう書くとタイムリーでしょ、そう、岡崎京子的映像なのだ。 川沿いの草むらの映像や不思議な少年と普通の少女など、 直接「リバーズ・エッジ」を想起させるシーンもあり、 絶対、この脚本、オカザキをふまえていると確信するどか。 なんというか、ドライやし、川が流れるのをほとりで眺めてる感じが。
にしても、テーマ自体がありきたりだし、 あまりにケレン味の無いドライな撮り方では、 映画として辛くないか?と振り返って思うのだけれど、 でも、これが成立しているんだなー、映画として。
(続く)
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