un capodoglio d'avorio
2003年04月14日(月) |
手塚治虫「アトムの最後」1 |
秋田書店 SUNDAY COMICS「鉄腕アトム」別巻1のラストに収録。 プロットはもう、どかは前から知っていて、 すごい気になっていたのだ「アトムの最後」ってば。 2003年4月7日、アトムは生まれた。 アトムの生誕を記念して各種キャンペーンが張られている。 それで本屋でようやく、見つけたの、ずっと探してた、このマンガ。
ヨーロッパでロボットというと、暗い悲しいイメージがつきまとうけれど、 唯一日本では、ロボットのイメージは決して暗くない。 特に人型ロボットへの憧れというのは日本人には根強くあり、 それがアシモを初めとする多くのプロジェクトを生んだと言われる。 なぜ日本人は、ポジティブなイメージをロボットに持つことができたのか? 「アトム」である。 それは「楽しい未来」「幸せな未来」を、 「ディスコミュニケーションに対するコミュニケーションの優位」を 象徴していると言われている。 しかし、この話「アトムの最後」は、違う。
アトムは三回死んでいる(壊れている)らしい。 連載の終了と開始を繰り返しているためもあるのだろう。 そして最後の最後、三度目の死を描いた話がこれ。 とにかく、暗い、悲しい、救いが無く、絶望がここにある。 アトムのパブリックイメージの全てを覆す、 「予定調和の輪からの脱出」とは、ここまで壮絶であらなくてはならないのか。
2055年。 ロボットと人間の共生関係は崩壊し、ロボットが人間を支配する世の中。 そこではロボットが人間同士を、古代ローマの奴隷よろしく、 殺し合いをさせて楽しんでいた。 あるところに人間の少年・丈夫がいて、 いままで自分の親だと信じていた両親から、私たちは実はロボットだと知らされ、 そして、これからその殺し合いゲームにお前を参加させると宣告される。 ロボットへの憎しみを抱きつつ逃亡を決意した彼は、 恋人・ジュリーを連れて「ロボット博物館」に駆け込み、 展示されているアトムに助けを求める。
アトム あなたとジュリーさんはほんとに愛し合っているんでしょうね
丈夫 ほんとだとも!心底好きなんだ
アトム どんなことがあってもそれは変わらない?
丈夫 ああ、変わるもんか!
その丈夫の決意を聞いたアトムは、もう一度、人間とロボットの共生のために、 その可能性を信じて、追っ手の最新型のロボットとの絶望的な戦いへと向かう。 しかし、アトムが追っ手達との戦いに赴く直前、丈夫はアトムから、 実はジュリーが、ロボットであることを知らされる。 アトムは飛び立って、勇敢に戦うもあっけなく撃墜。 丈夫はいままで自分をだましていたジュリーを許せず、 手にした銃でばらばらに殺して(壊して)しまう。 そして丈夫に追っ手が迫り、丈夫も壊されて(殺されて)しまい、終劇。
手塚作品のなかで、およそここまで悲惨なプロットがあるだろうか? 予想はしていたけれど、全ての書き割りを自らの心に納めていくと、 想像以上に暗く切ない絶望にとらわれてしまった。 手塚治虫自身も「陰惨で、いやーな気分がします」とコメントを寄せている。
しかし、何というリアリティなのだろう。 Syrup16gの coup d'Etatの絶望が幼く見えてしまうくらい、深い暗黒。 松本大洋の「ナンバー吾」の獰悪が小さく見えてしまうくらい、濃い漆黒。 でも、もう一度読み直してみる。 どかがこの作品の存在を知ったのは、SNOOZER編集長の田中宗一郎のコラム。 彼は、このマンガを読むたびに、勇気をもらうという。
どこ?どこからだ、それは?
ここまでして、予定調和を拒否する強さを、 宿さなくちゃなんかいねー、って弱気になるくらい、なの(続く)。
大チャン、がんばれ。
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