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2003年03月11日(火) つか「ストリッパー物語('03)」1


二年ぶりの再演、未だ活字化されることのないライブでのみ可能な「幻の名作」。千秋楽、ソワレ観劇。しかし、紀伊国屋サザンシアターでは銀之丞の「寝盗られ」で、紀伊國屋ホールでは「ストリッパー」。ここ数日の新宿のつか指数、極大値をとっていたね(過激なこの表紙は、今回のパンフレット)。


さて、今回のレビューに先立ち、二年前のこの戯曲が上演されたときのレビューをアップした。「寝盗られ宗介」とは違った意味で、前回の舞台と今回の舞台の差は面白いと思ったので興味がある人は、見てください。なぜ、どかにとって、今回のこの舞台にむけての期待値がさほど高まらなかったか。その理由は、このレビューに。


  つか「ストリッパー物語('01)」


早々に結論。「つかこうへい、恐るべし」である。寒気がするほどの演出の冴え、さすがに自分で言うだけのことはある「演出させたら日本で右に出るモノはいない」。本当にそうかも知れないと思った。一昨日に銀之丞の「寝盗られ」を観たところだったから、なおさらその思い強く。演劇にとって演出の力は、めちゃくちゃデカい。

ストーリーは'01バージョンのレビューに書いたのでそちらを参考。基本はそんなに変わってない、でもそこかしこにリファインの跡が、そしてそれらが全て有効である。今回目について変わったのは「イラク情勢」という時事問題が戯曲に深くコミットしてくるということ。ジョージ・ブッシュの息子が重要なキャラクターだったり、空母「カール・ビンソン」が空中給油したり。そして、前にどこかで書いたけれど、つかが時事ネタを織り込む理由はただ一つ。苛酷なシチュエーションを舞台に落とし込み、役者をギリギリまで追いこんだ先に生まれてくる「華」を見つけるため、ただそれだけ。あと出てきたネタは「パチンコ打っててクルマの中に赤ちゃんほったらかして、それで赤ちゃん熱中死」っていうちょい古い事件。メインストーリー自体が救いのないえげつなさを持ち、それに加えてこのエピソードがどん底感を深めていく。「華」は生まれるのか?

それがさあ、生まれたんだよ、もうびっくり。

例によって、主役の2人の力量不足を補うかのように20人から、役者が板に乗る。それでそれぞれに語るべき言葉、見せるべき姿勢を持たせているから、もう話があっちゃいったりこっちゃいったり大変。大風呂敷はどんどん大きくなって、ついにイラク=アメリカ問題まで。ああ、この先どうなるのかしら?でもね、この不安は、同時にすでに、解消されているの。なぜなら、今年はちゃあんと、言葉が聞こえる!2年前は全く聞き取れなかったセリフが、ちゃあんと分かるよ。まず、ここで、つか、エラいなって思った。ああ、演出、さぼってないじゃん、ちゃんと発声・カツゼツ、直したのねって。しかし、つかはさらにその先を走っていた・・・

'03バージョンの戯曲、'01と比べて明らかにエピソードの繋がりがイイ。一見マジでてんでばらばらな各役者の苦悩は、全て、重サンと明美の苦しみへと収斂されていく。この「ドライビング・フォース」のすさまじさはすごい。ちゃんと風呂敷は、ラストに向けてたたまれていく。厚みを増して、ドラマはカタルシスへと繋がっていく。この感情の猛スピードに、どかは途中からヒューズが切れてしまう。剛速球の痛み。金泰希の水野の時とはまた別の、戦慄。それは特定の役者個人に対してではなく、あくまで総体としての、群像に対して。そう、まさに演出に対して、どかは涙したの。

当たり前だけど、こんな舞台だもん。役者もベストパフォーマンスを繰り広げてたと思う。トロイ・山本哲也・古賀豊・黒川恭祐・友部康志・岩崎雄一・小川智之・真家留美子などは、どかが今まで観た中でもベストに近い出来だった。特に小川クンと岩崎サン、真家サンはびっくりするくらい。最初の緞帳が上がったとき、渋谷亜紀じゃなくて真家サンが踊ってたから、本当にビックリした。一気に劇世界に吸い込まれたね。誰だって、ひとり踊ってたら、ああ、渋谷ね。って思うやん。きったないわー、つかこうへい(かなり褒めてます)!あと、渋谷亜紀演じる明美を責め立てる演技、なかなか良かった。かなりゲスな感じ。いい。手を広げて刺されるシーンも。まだ振幅が小さいけれど、ゲスと品格、その振りかたを知ってる。どんどん良くなりそう。つかこうへいは戯曲をかなり書き換えたのであろう、それぞれのサブキャラがちゃんと説得力あるカタチで光り輝き、舞台をどんどん染めていく。そうして顕れるのが、主役の2人、石原良純と渋谷亜紀。キレイに編まれていく縦糸と横糸を、もう一度染め直さなくちゃいけない、大事な主役サン。つかはなおも、手を抜かないでこの2人を調理、分解、破砕して。

石原さんも、どかは「熱海殺人事件・サイコパス(レビューまだ)」以来だけど随分舞台役者っぽくなってきた。でも、まだまだ。・・・まだまだのハズなのに、なぜ、今回、これほどイイんだろう。二年前に赤塚クンが読んだそのセリフを、良純バージョンにどんどん稽古場の口立てで変えていったんだろうな。石原サンはダンスができない。つか独特のぶつかりあうギリギリの対話も苦手だ、リズム悪い。じゃあ、あと、この人には濃い眉毛以外に何が残るのか。・・・ちゃんと残ってるのね。この人、モノローグが、かなり、良い!つかこうへいの基本は、その役者の一番良いところと骨の髄までしゃぶりつくすような演出。つまり石原の場合は他のまずい部分、この戯曲のキーである「ダンス」を削り、つか芝居の基本である「ダイアローグ」すら削って時間を短くし、重サンのこの「モノローグ」に、ドラマツルギーを懸けたんさ。舞台終盤、重サンは舞台中央、あぐらをかく。他の役者、全員はける。真上からスポットで抜かれる。こっから10数分間、「お天気おじさん」石原良純は、彼の時間のなかでおそらく、最強の輝きを放つ・・・(続く)。


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