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2003年03月09日(日) つか「寝盗られ宗介('03)」2


すかっと晴れた青空、気持ちよいタイムズスクエア・ボードウォーク、千秋楽、マチネ@紀伊国屋サザンシアター。2度目の観劇。きょうは体調もそれほど悪くない、コンディション整えてアンテナ感度上げて。で、かっちりレビュー書く前にと思い、98年バージョンのレビューを書いた。参考にしてもらいたい。というのも、'98と'03を比べて見えてくるモノが、実は大事なんじゃないかと思ったの。

  つか「寝盗られ宗介('98)」1
  つか「寝盗られ宗介('98)」2

ストーリー。どさまわりを続ける劇団の座長宗介とレイ子は、式を挙げてないけど夫婦。で、宗介が自虐的な変態で、レイ子を他の男と駆け落ちするようにしむけては、帰ってきた彼女と相手の男を温かく迎えることに生き甲斐を感じている。宗介とレイ子はお互いを罵りあい、互いの傷口に塩をぬりこみつつ、ようやく愛を確かめ合ってきたが、今度は、レイ子、帰ってこない・・・という話。んー、深い。


さてまず、大切な前提。2003年バージョンが1998年バージョンと根本的にちがう点は、次の2つ。

  1:今回のつかの脚本、ベースとなっているのは1980年初演時のモノ
  2:今回の演出は、つかではない


まず1について。'98バージョンで、つかは大幅にホンを書きなおした。しかし、今回、座長の銀之丞は古い初演バージョンのホンを選択する。その理由は分からない。物理的な問題もあったのかとは思う。今回の座組で集められた9人の役者ではとうていあの40人近くを必要とする'98のホンはやれないし。じゃあ、'03のホンはシンプルなのかと問えば、決してそうでないから話はややこしい。

千秋楽、どかがグッと来たシーンはいくつかあるけれど、そのうちの二つが、ジミー(小川岳男)の「オレ、一人でだいじょうぶかなあー」のシーンと、すず子(吉野紗香)の「アタシだって、女優なんだよー」のシーン。若くて未熟な2人が座長・宗介の庇護のもとから去っていく時に、将来に対する不安や自身の葛藤をストレートにシンプルに響かせるいい場面。そのセリフがターンッと気持ちよく鳴れば鳴るほど、座長への信頼や愛着が反語的に沁みわたってく仕組み。泣ける。

でもね、'98にはここらへんの「アイデンティティの震動」というのはさっぱり削除されてたの。'98のテーマはあえて言い切ってしまうけど、ただ一つ「らぶ」。それに対して'03では「らぶ」に加えてこのサブキャラの内面までグゥっと掘り下げて提示する。「シンプルな'98」と「並行な'03」、どちらがいいというような単純な話ではない。ただ、テーマを2つ走らせれば、舞台を収束させるのにそれなりのパワー(華)がいるのは当然で。だから、人数が少ない'03だけど'98を凌ぐほどの力量が問われてくるの。誰に問うのか?それは今回のらぶを背負って立つ宗介(銀之丞)とレイ子(横山めぐみ)の2人。そりゃあ、大変な重圧だよ。古くてもつか戯曲、セリフの強度はハンパないもの。

・・・でもね、どかは'98のホンのが好き。「らぶ」ひとつっきりだったけど、でもその「らぶ」の極め具合がハンパ無かったもん。それこそこの殺伐とした何でもありな猟奇的時代にでも、悲しみを突き抜けたリアリティが感じられるくらいの、極めつくしたセリフの強度。'03のホンが丸く見えてしまうくらい。まーでもその代わり、役者にかかる重圧は'03の比じゃなかっただろうな。あとで言うけど、今回の布陣では結果として賢明な選択だったとのだとどかは思う。

次に2について。'03では演出初挑戦の、座長・山崎銀之丞が舞台をまとめていった。すごいと思う。つか自らを除けば、つか芝居をここまで仕上げることができるのは多分、このヒトだけだわ。律儀に素舞台を貫いて、音響にもほとんど頼らず、よく役者に全てを託す勇気を出せたと思う。演出って、勇気だね、勇気。ほとんど初舞台同然の横山めぐみに吉野紗香を、紀伊国屋の素舞台に乗っけるなんて、ほとんど「有り得ない」話。この勇気を見せただけで、もはや演出はほとんど合格だよー。でもね。これはつか芝居。しかも「寝盗られ宗介」っていう金看板。ふやけた第三舞台はまだ見られるとしても、ふやけたつか芝居は見るに耐えない代物だから・・・

で、先週の土曜日に見たときは(つか「寝盗られ宗介('03)」1)実際、いくつか小さくこじんまりとしちゃった場面がいくつかあって。でも銀チャンはつかさんの一番弟子。楽日まで、脚本をいじってでも芝居をどんどん良くしていくっていう気概はきっとある。だからきょう見るまでに、絶対何かが変わっているハズだって言う確信があった。だから、先週のレビューはほとんど何も批評しなかったの。で、銀チャンのふりーくサンたちの掲示板を拝見したら、日々、演出やホンが細かく変わってきているのが報告されていたばかりか、3日前あたりに「あのシーンはつかサン自身が手を加えたに違いないっ」というカキコもあって、否が応でも楽しみに。つかサンは本当に厳しくてやさしい人だから、いくら、いま、同じ新宿で自ら演出の「ストリッパー物語」を上演してても、こっちが気になるんだろうなあ。

で、実際つかサンが手を入れたと思われるところは、細かいところ、いろいろあった気がする。どかが一番ハッとしたのは宗介がジミーにキレるシーン。あの凄み。銀チャンが青い炎に包まれて。あれは、土曜日にはなかった。そうなんだよね。本当にいいつか芝居は、あんまし怒鳴らなくてもいいのだ。本当にいい役者なら、声の大きさに頼らなくても狂気が出せるから、目で。このシーンは嬉しかったなあ、ああやっぱ「寝盗られ」だあって思ったもん。これ以外にもいろいろ繋がりが良くなってる気がした。あと、感情の起伏も全体的に大きくうねってた、これもつかサンの仕業だ。すず子の「あたしだって女優」シーン。吉野紗香の役者ズレしてない部分を逆手にとったあの「ずるい」演出は絶対、つかサンだ。その証拠に、どか、ヤバかったもん。ジミーも、がんがん宗介に肉迫してきた。どかが気になってた部分が修正されてて、それも嬉しかった。

でも、やっぱり、劇の構成を変えてしまうには至らない。全体的にガーッと変えるには時間が無いし、役者の習熟度もそれに対応できるほど高くなかったんだろう。つかサンなら、この芝居を見て、全般的に「足りない」ことくらい一瞬で分かっちゃうよ。だけど、せめて応急処置をと御大自らが、上記の手直しをしてくれたおかげで、この楽日の舞台、どかは気持ちよく拍手することができたのー。

さて、'98との相違点についてさらっておいて、積極的にきょうの芝居について。つまり役者サンについては・・・(続く)。


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