un capodoglio d'avorio
帰郷を一週間のばしたメリット、いくつかあったんね。そのうちのひとつ。埼玉県富士見市というへんぴ(暴言多謝)なところであった青年団を観に行くことができたん。やったー♪
でも・・・、でもへんぴにも程があるぞ(暴言多謝)、青年団!どか、生まれて初めて東武東上線に乗って、鶴瀬駅から下車、さらにそこからタクシー。はぁ。
富士見市民会館・きらり☆富士見。名前もぶっとんでるけど、設計もかなりぶっとんでた。瀟洒でユニークな建築、贅沢な土地の使い方、へえーと普通に感心するどか。
「高村光太郎と智恵子の生活を素材に変わりえぬ日常 (青年団ちらしより)」
というのがテーマ。一見、いつもの静かな青年団かと思いきや、微妙に違う今回の舞台。特定の実在の人物をキャラクターに選ぶのは、かなり珍しいと思う。光太郎&智恵子以外にも、永井荷風や、なんと宮沢賢治まで!そういう観客のなかに何かしらの先入観が働いてしまいそうな設定を、できるかぎり排除しようとしてきた主宰だったのにね。さらにもひとつ、決定的にいつもと違う点は、四つの場面が設定されてそれぞれ大幅に時間が飛ぶと言うこと。でも、暗転はしないのね。登場人物が自然に一人一人、舞台から退場し、若干の沈黙、そして次の瞬間には時間が大幅に飛んだ次の場面に移っている。それを暗示するかのように、登場人物が着ている衣装に若干変化が(智恵子の葬式を暗示する喪服とか)。他にも、BGMが流れたりとかも、今までどかが観た青年団ではなかったしね。
智恵子の精神異常や死、戦争、光太郎の転向、そんななんやかやが全て、虚飾を廃した(かのように見せる)事実として観客に示される。人一人が生きていくのに、毎日がドラマのような浮き沈みがあるわけではない。確かに荒れた日もあるけれど、凪いだ日々こそが人生のベース。でもでもその凪いでる静かな水面にも、顕微鏡で覗いてみると波頭に砕け散った飛沫の記憶があって・・・。青年団のこのセオリーが、彼らの舞台に暗喩や暗示がいきおい増えていく理由。三谷幸喜やキャラメルみたいく一見ウェルメイドだけど決定的に違う点のひとつはここ。観客に積極的な想像力があって始めて成立するエンターテイメント。
今回、さらにさらに珍しかったのは、終演後の主宰と俳優二人によるアフタートーク。オリザ自身から今回のテキストについての「おはなし」があった。劇作家・演出家というのは基本的に喋ることを潔しとしないどかだけど、もう、平田オリザならば、全てオッケーしちゃう、あまあまどか。で、その「おはなし」の中で次のような話があった。
高村光太郎という詩人は、智恵子の死後、 まったく大した作品を残せなかった。 戦争賛美の詩にしても、終戦後の詩も、 ついに智恵子抄以前の輝きを取り戻すことはなかった。
それは「なぜか」という疑問が劇作家の頭のなかにあって、その答えって「わっかんねえな」という心情告白が「暗愚小傳」というテキストなのだと。たしかに「わっかんないね」。でも「わっかんない」なりの納得らしきものを、想像力の代価にちゃあんと用意できるからこそ、平田オリザと青年団は、この時代にまで生き残っているのね。どかなりに考えた納得らしきものは「孤独」じゃないかと。
つまり、今回の舞台の設定は、高村家の居間。テーブルが真ん中にあり、そのまわりに椅子がいくつか置かれている。新婚早々の智恵子が「元気」だったときは客人がたくさん集まって全てが埋まったその椅子も、場面が変わるたびにだんだん椅子のみがぽつんと残されていく。別にセリフで「孤独」ということが説明されることはないけれど、どかは、そのぽつねんと残されていく椅子が増えていくごとに、声なき嗚咽が聞こえてきた気がしたんね。
最後の場面、光太郎がその残った椅子をどんどん重ねて「孤独の塔」を作り上げて登り、茫然と自らの詩を口ずさむ。そこに現れるのはすでに亡くなっている智恵子と宮沢賢治(非現実的なキラリ☆ふじみの構造、「孤独の塔」?→)。
「上野動物園再々々襲撃」のときと同じ手法に「えーっ、ずるーい」と思いつつも、涙がこぼれるどか。いかんね。ずるいよ。でも、好き。
どかの総評。んーと、青年団にしては、どかにとって、若干緩いかなあと。青年団って、最近気づいたんだけど<ほろり系>と<すごみ系>の二つがある。そして後者の芝居が先日の「海よりも長い夜」だった。どかは<すごみ系>のが若干好みかも。でも「暗愚小傳」も新たな境地を観られて楽しかった。宮沢賢治役の古屋隆太さんはカワイいし、高村夫妻はどかのなかでベストオヴベストな組み合わせ、山内健司さんとひらたよーこさん!!永井荷風役の永井秀樹さんもすごい良かったし、珍しく、役者芝居(対義語:脚本芝居)と呼べる舞台だったんじゃないかなあ、青年団にしてはあ。
アフタートークでのひらたよーこサン、ラヴー!ああ、ああいう大人の女の人とお話がしたいなあと小さい胸を痛めていたどかでした、マル。
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