un capodoglio d'avorio
2003年02月09日(日) |
ハリーポッターと秘密の部屋 |
朝早くから今週末の公演のリハーサル、そのあと道具作りをして。 そんでもって、ややあって、ひょんなことから、紆余曲折を経て、 吉祥寺にチャリで出て観に行くことに。
ちなみに、訳者が誰であろうがどこの大学出身であろうが、 ハリーポッターの小説は全然読んでないどか。 でも映画「賢者の石」は確か、 アラスカ・アンカレッジに向かう飛行機の中で観た気がする。 最初はあんまし観る気なくて時々うとうとしながらだったけど、 最後のほうの、チェスのシーンでは、思わずウルっと来た記憶は、ちゃんと。 引き込まれちゃったね、あっさり、好きか嫌いかで言えば、もちろん好き。 面白いよね、普通に。 いかにどかがひねくれていても、これを否定する勇気はないな。 しかもハリウッドとは全く違う作り方をしながらも、 これだけエンターテイメントしてるのが、すごい偉いと思う。 イギリス人、恐るべし。 今回も、やっぱし、普通に巻き込まれちゃったっす。
当面、三点、すげーなーと思ったこと。
まず、何が偉いかといって「魔法」のインフレーションを抑えてるのが、偉い。 ハリウッドの凡百のSFは言うに及ばない。 たとえば日本のアニメで言うと「北斗の拳」や「ペガサス聖矢」。 主人公は最初、苦労してひとりひとり、敵の秘孔や自らのコスモを燃やして、 勝ち残っていくんだけどどんどん敵は際限なく強くなっていき、 それに呼応してどんどん秘孔やらコスモやらがインフレーションを起こしていき、 最初はドキドキしながら読み進めていった少年ですら、 「おい、ゴールドセイントって、むちゃくちゃ強かったんちゃうんかい」 と心の中で思わずつっこんでしまう状況。 最初の設定がはるか遠くにかすんでしまうくらい遠近法は無効になってしまう。 日本のマンガ界でこの遠近法を取り戻した顕著な例は「陰陽師」の岡野玲子だ。 阿倍晴明vs百鬼夜行の怨霊(含む菅原道真)といういかにも、 陰陽道のインフレーションが起こりそうな設定であるにもかかわらず、 それを抑えた上でドラマ作りをしている、えらいよね。 ハリウッドの凡百SFのほとんど全て(STARWARSですら)が陥ってしまう罠に、 ハマらなかったハリーポッターは偉いと思うの。 最後、バシリスクを倒したとき、ポッターってば魔法使わんかったもんなあ、 それでもドキドキするし、巻き込まれていくもん、遠近法が有効だもん。
次に、やっぱり物語のベースには、現実の真理をおいているところ。 イギリスと言えば、悪名高い、あの階級社会。 純血だの、マグルだの、「穢れた血」だの、 そんな今回ドラマを展開させる前提というのは、 たとえば母国、イギリス国民においては胸に差し迫るような感じだろうなー。 ただ単なるお気楽なドタバタ劇(某○感線や某キャラ○ルボッ○スみたいに?) ではなく、後にちゃあんと引っかかって残していく仕掛けになってるのね。 だからこそ、CGを駆使した魔法の戦闘シーンや蜘蛛や蛇の不気味な映像が、 映画の中で生きてくる。
そして最後に、その、CGのできばえ。 ああ、どうして日本人はこううまくいかないんだろうと、 悲しくなってしまう。 お金の使い方が、ほんっっっとにヘタクソなんだなあ、日本って。 魔法のシーンになるとドキドキするもん、やっぱり。 細部に神は宿る。 それを地でいく根気に、脱帽っす。
いろいろ、ケチをつけたかったんだけど、やめとこ。 そもそも、映画という複製芸術自体、積極的に評価できないうえに、 邦画ではなく、洋画という点でも、厳しい。 にもかかわらず、ああ、観て良かったなーと思えたのだから、 いろいろ、気になる点はあったんだけれど(しつこい)、やめとこ。
ああ、でも、一つだけ。
どかがディレクターなら、バシリスク。 あんなあっさり目はつぶさせない。 せっかくあんだけ石化でドラマを盛り上げといて、拍子抜けッス。
じゃあかわりに良かったの、一つ。
あのクルマのキャラは、良かった。 抜群。 カワイイ (あとハーマイオニーちゃん、LOVE♪)。
「賢者の石」のが面白かったけど「秘密の部屋」もなかなか。 次も観ちゃうかも、てへ。
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