un capodoglio d'avorio
2003年02月06日(木) |
野島伸司「スワンレイク」1 |
脚本家・野島伸司の初小説、ほんとうにいましがた、読了。 ズズ、まずはハナをかまなくちゃ、テッシュテッシュ・・・
はあ。
あんまし小説を読む時間もとれなくなってきたし、本屋で迷ったんだよね、 よしもとばななの新作とどっちにするか、で、こっちを取った。
はあ。
帯に書かれていた、限界を超えてでも「私」は愛にたどり着きたい。 このコピーはダテではない、すさまじい深度、目がくらむ。
微妙にいまやってるドラマの「悪魔のプロット」とかぶるところもある。 野島さんはここに来て、新しい一つの方法論を獲得した。 それは彼が昔、一世を風靡していたころのそれともまた異なる。
かつて、この人は世に蔓延する「愛」についての欺瞞を、 つぎつぎと暴きたてていくことで、自らの世界を構築していった (この優れた成果がドラマ「リップスティック」であり「世紀末の詩」)。 けれどもこの否定法は、否定の対照である「欺瞞」がしっかりあるときは 有効だけれども、こんな壊れてしまった時代、欺瞞すらどこにもない。 あるのは、喪失、なにもない、こと。
そこで、脚本家は、新たに自らの理想へと向かう方法を模索していった (その過程が、ドラマ「美しい人」「SOS」「ゴールデンボール」かと)。 そして、ついに、その限界を超えるための啓示を得た、 彼はきっと。 その精華が、小説「スワンレイク」であり、ドラマ「高校教師('03)」。
はあ。
さしあたり客観的に。 職業作家と比べると、確かに小説として、構成に難はある。 けれども、職業作家と比べても全く遜色無い、 テーマの深度は誇るべきものがある。 かつての「売れっ子脚本家」がバブルに踊らず、ただ、 自らの内面を厳しく見つめ磨き続けたダイヤの原石、一読の価値はあるの。 あの美しい、 永遠に変わることのない世界。 ミニマムな愛を有する者達の、 目映いばかりのコミューンである、 白鳥達のすむ湖を。 スワンレイクへ。 どうか私を連れて行ってと、 祈るように。 (第二章「ララのテーマ」より)
とりあえず、もいちど、読む。
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