un capodoglio d'avorio
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2002年12月16日(月) 大阪日誌4日目(附高時代)

夜も日が暮れてから、鶴橋まで出てJR環状線を乗り継いで京橋へ。高校ン時の友達と久々に飲むため。陸上部で一緒やった連中で、あんまし帰省せえへんかったどかやけど、戻った時は大体集合かけて(かけてもらって)会ってたな。今夜は六人全員そろわず、残念やけど四人。うちわけは、一人医者、一人医学生、一人大学院生、一人プー。もちろんプーはどか。

それぞれの近況とか聞いたり、どかの退職話を披露したり、バカッ話でバカ盛り上がりしたり、少し真面目なトピックの対話になったり。あたりまえの話やけど、陸上部ン時の友人とでしかで実現しない「対話の色合い」というものがあって、大学や会社の友人とのそれとは違うもので。その「色合い」の差になつかしさを感じる。でもなつかしさにおぼれそうになるかと言えば、決してそうはならず、だから帰省するたびに「また会いたいな」と思えるんだと思う。そんなのが可能な相手のことを人は「親友」と呼ぶのかも知れない。


↑@京橋の韓国料理屋

いまのどかを構成する要素のおよそ半分は、高校の時に色々バカをやりながら獲得したものだと思う。いや、逆かな。高校ン時に染み付いた色の半分は今でも判別つくほど、残ってるんね。アホなどかが、アホな人生の中で、ギリギリまで究極アホに徹することが出来た刹那のピークは、今までに二回ある。その最初の一回目が高校二年の時やった。それを奴らは全てを目の当たりにしてるわけで、今さら何を格好つけても仕方ないというのが、意識よりも先に身体が反応するから、いい具合にさらけ出せるんだと思う、たとえどれだけ会ってないブランクが長かろうがね。

・・・にしてもだ。

高校時代の知り合いってば医者だの、弁護士だの、検事だの、反政府ゲリラだの、高級官僚だの、東大だの、京大だの、警視正だの、芸能人の付き人だの、そんなんばっかで眼ぇ回るっつうねん(約二つほど変なん混じってるけど)。っていうか、濃ゆいなほんま。でも彼らの肩書き以上に彼らがかつて、圧倒的個性で輝いてたことをどかは知っている。

それらの肩書きってば、その記憶に裏打ちされてはじめて、リアリティが備わるんね、どかの中で。幸せなことは、素直に他人を祝福できることな。


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