un capodoglio d'avorio
お茶の水駅前のミスドが、 潰れた。 三鷹駅前のバス停の前のモスも、 潰れた。 どちらも、 思い出がたくさん詰まってた店だったのに。
シンクロニシティとはつまり、 それを認知する感性と、 それを納得する意志だ。 感性と意志が揃わないと、 ただの偶然の一致で終わる。
さあ、秋がもう終わろうとしている。 大好きな、勝負をかけた秋が終わろうとしている。 もう、立ち止まれない。
さあ、夢の中のカーニバルの始まりです。 この夢を醒ますために、そして最後のカーニバルを開くために。 アキレス腱は伸ばしましたか。 深い深い絶望の暗黒の中を走って走って走り抜くのです。 絶望に悩むのではなく、絶望に生きるために (鴻上尚史著「ハッシャ・バイ」)。
・・・それを納得する、意志だ。
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