un capodoglio d'avorio
2002年10月19日(土) |
遊◎機械/全自動シアター 「THE CLUB OF ALICE」 |
夕闇に沈む宮益坂を上り、小雨に煙る青山通りを進む、青山円形劇場に到着。 鴻上尚史の第三舞台と同じ早稲田演研出身、同時期にデビュー、 以来18年間もの長きに渡って劇団という枠組みで走り続けた希有な集団の、 これが「最終公演:THE LAST SHOW」、なつなつと観劇。 前売りが取れず当日券の列に並んで待って最前列の補助席をゲット。
青山円形劇場の構造をフルに活用して360度ぐるりと囲んだ客席の真ん中に、 舞台として設置された三層構造の無国籍風の建造物。 最前列からだと二階や三階の役者をかなり見上げる状態になり、 時には姿が完全に見切れてしまって声しか聞こえなかったり。 でも役者は大体下のフロアにいて、至近距離(1m以内)で白井さんや高泉さん、 そしてゲストの浅野温子をまじまじと見る事ができたのはエキサイティングだった。
そう、主演は浅野温子で、主人公の「アタシ」にキャスティング、 中年でひとりぼっちの冴えない女性の役。 看板女優であり劇作家の高泉敦子は、 アタシに忘れられた本の中から現れた「アリス」であり、 アタシを伴ってワンダーランドを道行きしていくトリックスター。 看板役者であり演出の主宰・白井晃はそのワンダーランド中の うらぶれたクラブの客であり、アタシにアタシと向き合う事を導く存在。
どかが遊◎機械が好きな第一の理由は役者としての高泉さんと白井さんだ。 自分の劇団に所属してかつ、卓越した演技力を見せるその安心感は類を見ない。 全幅の信頼を寄せてしまう。 高泉さんの軽快なフットワークと子どもから老人までを軽々演じきる想像力、 そしてあまりにも魅力的に響くその声。 白井さんの声も深く響いてかっこいいし、キレの良いダンス、 かわいい面とクールな面を自在に出し入れする大人の色気、きゃー(?)。 浅野温子も、大健闘していると思う。 もともと発声のいい女優で演技も芯が定まっているから舞台向き、うん、良い。 そんな浅野温子のアタシが「孤独」と「妥協」の狭間で苦しむのが今回のストーリー。
話は少し飛ぶが、遊◎機械と第三舞台は時代も出自も同じだけあって、 舞台もかなり重なり合う部分があるとどかは思う。 例えばテーマはどちらも「自分探しの旅」という趣がある。 ストーリーも写実的にリアリスティックでは決して無く、 どちらも観客にある種の「ジャンプ」を要求するという点でも同じだ。 けれども「ジャンプ」の構造が違うとどかは思う。 鴻上さんはストーリーのラストで大きいジャンプ台を設置しておいて、 そこにたどり着くまでは観客を役者にひっぱらせて精一杯助走させる。 それに対して高泉さんの書く戯曲は幕を開いたとたん、 絶え間なく中っくらいのハードル台が次々用意されていて、 それを高泉さんと白井さんの軽快なスキップにつられて跳ねてくの。
「ジャンプ」とはつまり、ストーリーに飛躍があり(語られない言葉があり)、 そこを観客の想像力で補っていくシーンやセリフの間のこと。 ジャンプがたくさんあると、やっぱり少しくたびれるんだけど、 遊◎機械は第三舞台と違ってクライマックスがかなり優しい着地なんだな、いつも。 飛びっぱなしの第三舞台と違って。
劇中、アタシをワンダーランドに連れてきたアリスが言う。
私はヒトリが嫌いじゃないもの、好きでヒトリでいるのよ。 (妥協するくらいなら孤独を選ぶわよ)
それに対してうらぶれたクラブの客たちは次のようなメッセージを提示する。
ヒトリぼっちがイヤだってゆっても原因は身勝手にあるんじゃないか。 (孤独から逃れたかったら妥協は必須でしょ、ね)
この二つのメッセージに挟まれたアタシの「痛み」は、 とても現代的でリアリティのあるものだと、どかは思うのだ(続く)。
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