un capodoglio d'avorio
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2002年08月20日(火) 無限じゃないから

ヒトがヒトを拒否するとき、もしくは拒絶するとき、
「する」ヒトと「された」ヒト。
どちらがより辛いかと言えば、それはもちろん「された」ヒトだ。

でも時々、独りよがりのバカがいて、
「いやあ、やっぱこっちのが辛いんだよなー」とか、
「相手の気持ちを思うとやりきれないっすよ」とか、
アホなことを言ったりする、アホか。
こんなアホは嫌い。

断じて、断頭台にかけられても、誓って言うが、
「された」ヒトより「する」ヒトが辛いことなんて有り得ない。

何故か。

それはヒトの想像力は無限ではないからだ。
想像力はその人の努力と才能と訓練次第で、
確かにどんどん広がりはする。
しかし、それは無限ではない。

これが理由だ。

「される」ヒトにはだから、第三者がガンバレって言うことも憚れる。
でも憚りながらであれば「ガンバレ」
って言っても許されるかもしれない。

この「かもしれない」だけが救い。

「ガンバレ・・・」


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