un capodoglio d'avorio
passatol'indicefuturo


2002年05月23日(木) 頭を垂れて

  僕は悲しいから
  哀しいになり
  寂しいになり
  いつか優しいになり
  そして美しいになる
  (「野島伸司詩集?」より)

なんだか話す言葉の一つ一つが刺々しくて、
そこにいると辛くなってしまうような人がいる。
なんでそんなに言葉の響きが"offensive"になるのだろう。
他人に対して余裕が無い、ということは、
裏返せば自分に自信が持てない、ということ。
そんなに必死になって守らなくちゃいけない自分の領土には、
いったい何が実っているのだろうか、黄金の稲穂?

自分の領土の作物なんてハナから分かってもらえなくて結構、
という立場は分かるけれどじゃあなぜ、
話すときに人の目を見ないのか。
人の目を見ないと言うことはそれだけで相手に対する、
一つの所信表明になっていることに気付いているのだろうか。

きっと「美しい」人間はこんなこと書かないで、
スッと流せるのかもしれない。
でもどかはまだ「美しい」ところまで辿り着けないから、
「仕方ないじゃん」とは言えない、情けない・・・

だってさあ、稲穂は黄金だから奇麗なんじゃ無くて、
たくさん実ったお米の重さで、頭を垂れて揺れるから奇麗なんじゃん。


どか |mailhomepage

My追加