un capodoglio d'avorio
僕は悲しいから 哀しいになり 寂しいになり いつか優しいになり そして美しいになる (「野島伸司詩集?」より)
なんだか話す言葉の一つ一つが刺々しくて、 そこにいると辛くなってしまうような人がいる。 なんでそんなに言葉の響きが"offensive"になるのだろう。 他人に対して余裕が無い、ということは、 裏返せば自分に自信が持てない、ということ。 そんなに必死になって守らなくちゃいけない自分の領土には、 いったい何が実っているのだろうか、黄金の稲穂?
自分の領土の作物なんてハナから分かってもらえなくて結構、 という立場は分かるけれどじゃあなぜ、 話すときに人の目を見ないのか。 人の目を見ないと言うことはそれだけで相手に対する、 一つの所信表明になっていることに気付いているのだろうか。
きっと「美しい」人間はこんなこと書かないで、 スッと流せるのかもしれない。 でもどかはまだ「美しい」ところまで辿り着けないから、 「仕方ないじゃん」とは言えない、情けない・・・
だってさあ、稲穂は黄金だから奇麗なんじゃ無くて、 たくさん実ったお米の重さで、頭を垂れて揺れるから奇麗なんじゃん。
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