un capodoglio d'avorio
2002年05月18日(土) |
つか「長島茂雄殺人事件」2 |
小川刑事の葛藤はどちらを選んでも後ろ向きの結論であるところに皮肉がある。 「警護」したとしても過去の自分の無念さを、一人息子の無念の死を、蔑ろにすることを意味し、 「復讐」したとしてもスターになれない凡人の自分のひがみの発露としかとることができない。
重ねて言うが、つかは「弱者に対して、優しい」。 その優しさは最後の最後にあらわれる。
フィナーレで長島は、神の慈悲にも似た優しい言葉を、自ら振り回し続けた周囲の人間に投げかける。 徳光和夫や、小川刑事は、その言葉を聞いてしまうともうどうにもできない。 天真爛漫、天衣無縫なスター長島は、不可侵な領域におわして圧倒的な華を周囲に散らす。 普通の作家ならここで幕を降ろすのだ、論理的にも破錠しない。 が、つかは違う。 殺人事件が未遂に終わりプロットもひと段落着いた後で、尚、小川刑事を舞台に残すのだ。
何のために? それは彼に内角球を克服させるためだ。
因縁の内角球を打つために、長島から受けたアドバイスをもう一度心に噛み締め、 バッターボックスに入る、足場をならす、バットを構える、ボールが来る! 臆さない鋭い踏み込み、華麗な腰の回転、そして快音! このバットの快音一つで、全ての観客にハッピーエンドを納得させてしまうのがつかの魔法。 殺人事件なんてどうでも良く、大切なのはスターと凡人はどこまでも深い溝に区切られて、 なお、凡人はスターを夢見て努力を続ける余地が残されていると言うこと、 ひとり取り残されてもつかは、弱者のために最後まで内角球を投げ続けてくれるのだ。 その残酷さと優しさを知ってしまうと、どれだけ役者の不足の実際に絶望しようとも、 そうそう、つか芝居を観に行くことを辞められるものでは無い。
北区つかこうへい劇団の現劇団員の中ではやはりトップの小川岳男の説得力はさすが。 一人舞台に座り、過去甲子園に行った仲間達に「野球なんか辞めちまえ!」と電話で話す姿に、 どかは泣けて仕方が無かった、逆接の何と痛いことか。
村山実の息子役の川端博稔も良かった。 世間の全ての人が父親の無念さに背を向け長島の華を讃えたとしても、 自分だけは父親を支持すべきだったと涙にくれるシーンは秀逸だ、上手く流れを作っていた。
赤塚篤紀/吉浦陽二のコンビも好き。 セリフが普通に言えてたので、ホッとした、この劇団ではそれだけでとりあえず貴重。 友部康志/黒川恭祐もまずまず、自分の居場所にちゃんと説得力を持たせられていた。
でもあとは・・・、芝居がエンターテイメントであるならば、要らない。 だってエピソード、説得力無いんだもん。 新入劇団員は言うに及ばず、山本や嶋と言ったベテランもだめだと思う、もはや。
つかは上記の劇団員を脇にまわしたプロデュース公演をやるべき。 役者を育てる才能は他に任せても大丈夫だが、 至高の「つか芝居」を作れるのは自身以外にいないのだから、 池田成志や筧利夫、山崎銀之丞や山本亨などの優れたつか役者を集めて一本やってほしい。 この荒んだ世の中に一番必要とされているのはその至高の「つか芝居」だと、 どかは本気で信じている。
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