un capodoglio d'avorio
2001年12月27日(木) |
TPT「ブルールーム」 |
年の暮れも差しせまった寒い日、行ってきましたベニサンピット。 もすこし近ければいいのに、と毎回思うけれど、ここの劇場自体は大好き! 古い工場か何かを劇場に仕立て直した空間は、簡素だが何かしらの空気を漂わせていて、 そこに現れる役者はえもいえぬ色気をまとって出てくる。 この脚本も日本のどの劇場で上演するよりもここでやることが一番効果的なんだと素直に納得。
ストーリー。 10人の男女が出会い、別れる、だけ。 以下の10シーンで構成される。 1少女とタクシー運転手/2タクシー運転手と家事手伝い 3家事手伝いと学生/4学生と人妻 5人妻と政治家/6政治家とモデル 7モデルと劇作家/8劇作家と女優 9女優とスノッブな男/10スノッブな男と少女 ・・・なるほど、最後に円環は閉じてこの舞台はロンド(輪舞)だった、と分かる構成、ふんふん。 特筆すべきはこのシーン全てをたった二人の役者でのみ演じきること。 つまり秋山菜津子と内野聖陽だ。
秋山菜津子は最近どかが行く舞台によく出演している、段々好きになってきた。 色気の濃度を一瞬で調整してしまう凄み、良く通る声などがいい感じ、好き。 シーンとシーンの合間には交代で舞台上で役者は着替える。 なんだか秋山さんが着替えてるところは何故かとても美しく、 いやらしい意味では無く、見とれるくらい。 もちろん演出の DAVID LEVEAUX はそこまで計算しているのだろうが。 なんだか、悔しい。 細かい破錠を自らの表現の一部として自在に楽しむかの様な演技法の秋山さんに対して、 内野はど真ん中ストレートだった。
実は今回この公演に行こうと決めたきっかけは彼だった。 一度文学座所属の、圧倒的人気を誇るいわゆる新劇界の「エース」を見たかったのだ。 そして感想は「う〜ん、確かにうまいけれど」と言う感じ。 テンションは高い、自らの役への解釈も素晴らしい、 立ち姿のシルエットはあくまで美しく、台詞術の自在さ柔らかさと言ったら! 女性ファンの心を鷲掴みにしていくのが嫌と言うほど分かった。 でも僕は「嫌と」言うかも。
あまりに巧すぎる。 内野はあくまで新劇だった。 舞台には自然に「政治家」がいて「劇作家」がいた。 そして彼個人はその中にあくまで精緻に溶かし込まれるが、 それがあまりに精緻すぎるので逆に内野を感じさせる (写真よりもリアルな絵が画家の存在を臭わせる様に)。 柔らかすぎると言ってもいいけれどどかは彼に感心はするけれど感動はしないな、きっと。
例えば「飛龍伝'94」の筧利夫。 彼は自らの輪郭線を、尖った角を、圧倒的なテンションでさらに際立たせて磨いていった。 あくなき忍耐で全ての角を丸めて、形を整えるために磨いた内野とは逆だ。 内野のすごさには心底唸らずにはいられない。 だからこそ、反発を押さえられない。 ああ、こんな自分の小ささって、とっても嫌。 だけどそれでも神様、胸をはってどかは言いたいのです。 「最盛期の筧利夫が、一番大好きです!!」
プロット、芝居全体への感想はまた次に書く、かな。 でもどかはほんとに役者自体を見に劇場へ行くんだなあ(しみじみ)。
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