un capodoglio d'avorio
2000年06月17日(土) |
青年団「ソウル市民1919」前編 |
ソワレ@シアタートラム、S嬢といっしょに観に行った。青年団の舞台のなかでも、屈指の名演。たとえば、戯曲家における作品の位置づけで言うと、つかこうへいにおける「熱海殺人事件」にあたるのが、青年団における「カガクするココロ」。つかこうへいにおける「飛龍伝」にあたるのが、青年団における「東京ノート」。そして「蒲田行進曲」にあたるのが、「ソウル市民」だと思う。ならば、この「ソウル市民1919」は「銀ちゃんが逝く」に相当するか。そう思うくらい、この戯曲はすばらしい。
劇団の代表作「ソウル市民」は1909年のソウル(当時の名称は漢城)に暮らす日本人一家の生活の一瞬を切り取った舞台だった。そして今作は1919年のソウル(当時の名称は京城)に暮らす、同じ日本人一家の生活を切り取ったものである。ちなみに1909年というのは日韓併合の前年。1919年というのは「三・一独立運動」が起こった年である。ベルサイユ会議や民族自決主義に喚起されたこの独立運動は、日本の植民地支配下の朝鮮で起こった最大のものである。当初、独立宣言の朗読から始まり無血の示威行進へと発展したらしい。そして、まさに今作の設定は、1919年3月1日…。
しかし劇団の主宰、平田サンは舞台を総督府や街頭には設定しない。あくまで、ある裕福な日本人一家の客間が舞台であり、あくまで、そこに流れる「いつも通りの」日常を淡々と描出するだけである。この劇団の作品の例にもれず、もちろん暗転無し、BGM無し、スポットライト無しの、ストイックな、けれども逆にとてつもなく贅沢な作りとなっている。そのストイックな日常のなかに、けれどもそのまさに世界史に刻み込まれる歴史的なイベントのかすかなノイズが、ときおり紛れ込む。でも、それは日常を完全に乱すことはしない。普通劇作家なら、こんなにドラマチックなイベントだから、そっちを描こうとするよね。つかサンなら間違いなく、そっちを描く。でも、平田サンは頑なまでにドラマチックから背を向ける。
そして民族自決主義の大波に突撃する代わりに、ブルジョワ日本人家族のごくごくささやかなさざ波にフォーカスを取る。例えば内地に嫁いだけれど出戻った次女が次のお見合いを拒んだり、内地から京城での興行のために呼ばれた力士が訪ねてきたり、オルガンのレッスンに来た先生がその力士にびっくりしたり、住み込みの書生が「外で朝鮮人騒いでますよ」って報告したり、朝鮮人の使用人がいつの間にか家から姿が消えていたり、活動(映画)を観に行こうよって次女が書生を誘ったり。そんなトピックが、つか芝居みたいにくっきり分けられて長ゼリでたたきこまれるのではなく、あくまで日常だから、いろんな会話が断片的に、ポッとでたり、パッと消えたり、青年団の専売特許・同時多発会話などで淡々と続く。分かりやすいテンションの盛り上がり、ゼロ。分かりやすい説明セリフ、ゼロ。分かりやすい感情のこもった熱いセリフ、ゼロ。
いやー、でも、感動するんだよね。掛け値なしで感動したどか。ラストのオルガンの響きとそれに唱和する女優の歌声が、暗転にスッと引いた瞬間、どかはシアタートラムで痺れて動けなかった。泣いた泣いた。そしてその涙がどこから来たのか、全く分からなかった。青年団がいくらクオリティの高い舞台を続けているからといっても、どかがそこまでキたのはこの作品だけだった。
いま(2004年3月12日)なら、少し、この涙の意味が、分かる。分かってきた気がする。
(続く)
|