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1998年10月15日(木) つか「寝盗られ宗介('98)」1

これはどかが本格的に芝居に見始めた、本当に最初期のころの舞台。つかこうへいから受けた衝撃にただただとまどい、それを自分のなかでどう消化すればよいのかまごついていた当時のどか。そして、この日、今はなき銀座セゾン劇場にて観た舞台において、どかのその後の演劇的嗜好の基本ベクトルが設定されてしまった。ソワレ観劇。

「寝盗られ宗介」、副題「徳川六代将軍・家宣の若き日の恋」。


ストーリーは、かなり複雑な入れ子構造。東北巡業どさまわりの一座が演ずる劇中劇と、その一座の舞台裏を、交互に描きながら進んでゆく。一座の座長・宗介はわざと一座の男とレイ子をくっつけ、その寝盗られ亭主のマゾヒズムに快感を感じていた。しかし、レイ子が駆け落ちにやぶれ一座に戻ってくることで、愛を確認していた宗介も、父親の死期に際してレイ子と式を挙げることを決意。しかしその直前またしてもレイ子は駆け落ちすると宣言。「帰ってこないよ」とレイ子は言い捨て出て行くが宗介は式の準備を整えてただその日、待ち続ける・・・という一座の舞台裏といちいち呼応し暗示させるかのような劇中劇(これも宗介とレイ子がそれぞれ主役を演じる)。さあ、帰ってくるのか、レイ子は。・・・ってこんなかんじ。

さて、このレビューを書いてるいま現在(2003年のひなまつり)「寝盗られ宗介('03)」の一回目を観たところで。ここで比較はあんまししないけど、つかはこの80年初演の脚本を、この98年に再演するにあたり、大幅に改訂してきた。その改訂は、単なる気分で書き換えたわけではなく、つかにとってある種の必然を伴った再生作業だった。ポイントは二つある。「量的改訂」と「質的改訂」だ。

まず「量的改訂」について。

'98バージョンにおいて、登場人物は4倍ほどにふくれあがり、上演時間も2時間30分を越える大出し物になったのね。それは企画・公演に大阪府が全面的にバックアップし、役者も大阪の各種劇団(新感線や遊気舎、火の車等)から客演を募って芝居を打たなくちゃだったという外部的要素だけが理由じゃないと思うの。

つかは「飛龍伝'90」という自身の代名詞とも言うべき伝説の大(出演40人以上!)傑作舞台をかつて仕上げた。でもそれも元々は「初級革命講座飛龍伝」という70年代に初演された濃ゆいけど登場人物はミニマムな舞台が基本だった。つかは90年代の殺伐とした現実に対して、虚構のリアリティを追求するためには、大人数の構成美と、そしてその上にたつ絶対的なスターの「華」を散らせるという構造が、破壊的な効果をもたらせることを直感的につかんだのだと思うの、どかは。だから90年代に再構成されたきら星のごとく輝くつか芝居、「飛龍伝」も「蒲田行進曲」も「銀ちゃんが逝く」もそして「寝盗られ宗介」もスターさんの「華」を支える大人数の「人柱」が配されたのだ(「熱海」は例外、これはまたいつか)。しかし、これは諸刃の刀である。つまり、絶対的な、本当に圧倒的なスターさんがいなければ、決して成立しない構造である。敢えて厳しく言っちゃえば、2000年に満を持して再演された「銀ちゃんが逝く」がこけてしまった理由は、ここにある(内田有紀・吉田智則には、そこまでの「華」はなかった)。

次に「質的改訂」について。

最近のつか芝居について、良く言われるのが「大げさな舞台設定」と「あまりに辛くて暗いプロット」である。たとえば東海村原発自己であるとか、たとえば被差別部落であるとか、たとえば和歌山ヒ素カレー事件であるとか、たとえば柏崎幼女誘拐監禁事件であるとか、たとえば神戸少年A猟奇殺人事件であるとか。そういった「スペシャル」な事件を決して「スペシャルではない」と思わせるプロット作り。そこには70〜80年代の牧歌的な風景はなく陰惨辛辣なセリフが、乾いた笑いのなかで舞台上の役者を切り刻み、その返り血を観客は浴び続ける。

そういった、具体的なエピソードが提示されていなくても、身につまされるような辛い前提が設定されているのが90年代以降のつか芝居においてはもはや常識である。つまり、生半可なふやけた脚本では、もはやこの時代に有効なカタルシスは生まれえないというつかの悲壮な決意の表れなんね。この「'98版寝盗られ宗介」もかつては宗介・レイ子の逆説的な恋愛表現にのみ焦点があたっていたある意味シンプルな劇作だったのが、今作では一座の劇中劇において「身分・家柄の違い」という伏線(家宣公と心中崩れのお志摩の悲恋)が、実に巧妙に示される。この壁を乗り越えて帰ってこられるのか、否か!という興奮こそ、セリフにこそ示されないけれど今作のラストシーンのエッセンスなの。

この「徳川六代将軍・家宣の若き日の恋」については幸運なことにNHKのBS2にてVTRが放送されたから、どかはそれを録画して持ってる。で、今回(くどいけど2003年ひなまつり)改めて見直してみて、かなり感動した。実際に6年前にセゾン劇場で流した涙がよみがえってきた。詳しいレビューはページを改めて書くけれど、この公演は紛れもなく成功だった。つかマニアからは当時、「緩い」と酷評を受けたりもしたんだけど、でもどかはこれは成功だと思う。ひとえにそれは、日本一の大女優、藤山直美の圧倒的な「華」によるものだ。大衆演劇のマドンナ、恐るべし。ほんっっとにすごいと思うわ、この人わ・・・(続く)


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