Mステスペシャルを見ていて(と言っても録画ですが。)考えたこと。
・たとえば私はGLAYが好きで、ライブに行ったり新譜をチェックしたりテレビに出ていたら録画をしてるけれど、GLAYだけで自分の生活を一色に染めることはできないと思った。 それは、自分の中でGLAYだけでは満足しきれない部分があるということ。 ・たとえば安藤政信が好きだけれど、彼が出ていると言うだけでその映画を名作だと言い切ることはできない。出てるだけでは満足しない。それは、出る機会が少ない以上完成度の高いものを、と望んでしまうということ。
そんなに好きだと思っていないアーティストの曲の中にも、自分の好きな感じの曲はあって、食わず嫌いで自分の一番に固執することは無いんだなと思った。固執して他のを聞かないほうが世界狭くなる。
いくら好きでも、四六時中自分の側におきたいとはあんまり思ってなくて、実際に私の通学用MDの中身は長くても3日で別のアーティストに変わってて、実はGLAYを聞いてる時間て案外少ない。(それはライブが一番だからって言うのもあるけれど。)
心の中の一等賞だけを抱えて生きていくには、私には大事なものが多すぎます。そんな必要も必然性も無い。
ってことをつらつらと考えてました。 この日記とは別に、ノートにつらつらともっと取りとめの無いこと(ESのタイトルとかそれについての考えとか、レポートのかけらとか取りとめ無さ過ぎてパソを開く気も起きないヤツ。)を書いてるのだけれど、そのノートに気がつくと5ページくらい平気で書いてるから怖い。鬱々と溜め込んでるのが身体に悪いと思うけど、そうやって書いてる状況、相当暗いと思う…自分ながら。(伏し目)いいけど。(いいのか。) 運動してるとか物理的に身体が疲れてるときは書かないので、エネルギーが余計な方向に向かってるみたいです。
好きなものそれだけで生きていかないって話。嫌いなものが無ければ、その反対に好きだって感じることもできなくなる。全部好き。みんな好きって不気味に感じたりもする。(みんな好きってことは区別ができてないってことで、それはどれでも同じって意味で、だから薄ら寒く怖い。)
どんな良くても、自分の中で必要じゃなくなる日が絶対に来ると思っていて、自分と合わない部分も見えてきて、少しだけ離れる。 自分の中ではごく自然に、そういう風にかたずけていくくせに、でも相手にそれをやられるのが怖いという勝手な理屈でした。 解散するとか。ソロやるとか。そういうのも含めて。
要するに、スペシャル番組でまとめて他の曲聞くのもたまには良いわねって感じただけ。そこから派生した。
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