村山由佳が、読みたくなった。
ので、いきなり「海を抱く-BAD KIDS-」を読んだ。 再読、になります。 村山由佳は、私の中で別格な作家。らしい。 いつでも、どのタイトル読んでも好きな作家の1人。 それを好きな作家と言うのだろう。
昔読んだときは、とあるシーンの描写にぎゃーっ(微妙に吐き気)となったものだったが、今読み返してみるとそのシーンって結構少なめだった。 扇情的といえば扇情的。 村山由佳、若い読者さんが多いと言うことだけど、こういうシーンって親はいい顔しなさそう。。。 私は高校のとき、私が持ってた「夜明けまで1マイル」(作者同)の冒頭部分を読んだ親に危うく本を取り上げられるところでしたよ…。
子供が何かの「本」を読んでるからってイコール「文学少女」(=勉強している)と判断するヒトは多分目茶目茶単純だと思います。 これが、うちのような田舎には結構多い。 私の周りにかぎって、か。 って、かつて私が良くそういわれてたので思うこと。 どんな小説かどうかなんて、実際に色々本を読んだことあるヒトにしかわからんから、本を読んだことないヒト(この中でも特に中高年の方。)というのは、とにかく本を読んでいれば「良い子」だと判断してしまうのでした。 あほらしい。 なんぼのもんじゃいと思ったものでした。 本読むことと知能の高さは必ずしも相関関係にはない。のは私で実証済みだろー…。 本読んでて大人しくしてれば普段は「頭が良い」と判断され(この認識からしておい!って感じなんだけど)、そして何かしら問題起こせば「そういえば何考えてるか分からなかった。本ばかり読んでて暗かった」くらいのことは言われるのでしょうな。 両極端。
と、それはともかく。 ジャンルはどういうものかというならば、やはり青春小説。としか言いようがない。 高校生とか若い年代が主人公にすえられてるからだと思うんだけど、将来、とか未来に向けての漠然とした不安とか。 この世代は特に、求めて求められる関係とか(←やましい意味でなく)、家族以外の他人に必要とされる自分とか、そういったことに関して敏感な世代なんだろうと。 自分が自分であることの意味、「誰でも良い」んじゃなくて、「自分にしか出来ないこと」を探してる人々にとって、誰かに必要とされることがどのような意味を持つか。 でも、その「必要としてくれる誰か」というのも、これまた誰でも良いんじゃなくて「自分が必要とされたい」誰かであって欲しくて。 それくらい、「自分が認めて欲しい他人」との関係は重要事項。 道行くヒトが自分勝手とか、自分本位とか言われることもありますが、それは「自分が認めて欲しい相手」が目の前にいないからどうでも良くなる、と言うことかと。 家族にしか必要とされないのは、さびしいことだと思うんで。
冒頭とか設定とかはよく覚えてる割に、物語の終わりをちゃんと覚えてないことが多いので、一度読み終わってるにもかかわらず私にとって今回は驚きのラストでした。 あれ?こんな終わり方だったんだ?って。 話が相変わらずかっ飛んでますが、終わりがどうとか続きが気になるとかあまり考えないものではある。
↑それだけかい。
この作品にそんなに衝撃は受けてないので感想少なめ。 「青のフェルマータ」「翼」「野生の風」のほうが特に好き。 そっちのほうを薦めます。 「天子の卵」も捨て難い・・・。
>まほ。 上映会オッケエエー!!! っといってもまだ私は予約すらしてませんが。 パソコンのスピーカーだから音は期待しないでね(はあと) プレステ2を買えれば全ての問題が解決するんだがねー・・・。
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