たまにはエッセイを書こうと思う。Sayto〜じゃ書ききれそうにないから。 それと、雨の作品が多いようにも思えるNOTの作者の日常を知っていただく機会にもなるしね。
いつだったか忘れてしまったけど、その日は酒を飲んでいたのか終電の一本前の電車を待っていた、しかも20分程。でも寒かったという記憶はないからきっと冬ではなかった様に思う。 午後11時30分のホームには、いちゃついているカップル、足元の覚束ないサラリーマン、これから遊びに行くのか出勤なのか派手な格好をした女、様々な人生模様が映し出され乗るべき電車をそれぞれの時間を過ごしながら待っている。
そんな中僕はCDの音に揺れていた。ホームという大きな傘の中で雨から逃れ、暗がりの中ただ降り付ける雨粒を見ていた。それはとても柔らかく優しく僕を包んでくれる気がした、そんな雨だった。 自分の中で雨が優しさという感情で降っている気がしてすごく許せた。いつもは嫌いで憂鬱になってしまう雨が、その日に限ってはホームから見る雨の一つ一つが絵になっていて、優しくて、何故か笑顔になれた。
次の瞬間、自然と涙が出てきた。特に何か有った訳でもない、特別な日でもない、至って普通の日常と変わらなかった、でも僕は雨を見ながら泣いていた。それはとても自然でむしろ、逆らう事は不必要だった。
感情は自然だった、逆らえなかった。 日常の中で気に食わない場面なんていくつもあって、それを諦め半分で何食わぬ顔してやり過ごす自分がとても嫌で雨で全て洗い流したいって…雨が嫌いなんかじゃなくて、つまんなそうに生きている自分がとても嫌いで、雨に諭されて気がしたらもう、止まらなかった涙は。 卑下でも何でもなくて自分の生きている意味とか重みが無いって言うのが情けなくて悲しかった。
すべてに「ごめん」って謝った。
電車に乗ってからも涙は止まらなくて、さすがに恥ずかしかったから下を向いていたけど…。
許せた雨と 許せなかった自分。
雨の話を書くときは、こんな事があったと思い少し微笑んではあれから少しは大人になっているのかなって握っているペンを置いて一息入れる。
あの日以来、雨の日だからって嫌だとは思わない、むしろ自分を見つめ返す事の出来る神様からのプレゼントデイだと思って雨に感謝して笑顔で過ごす。 自分の嫌いな所ってたくさんあるけど、自分で理解して、自分のこと好きになってあげたいなって思う。自分の事好きじゃなかったら誰も自分の事好きになってくれないって思うから。
優しさと嫌悪の中で雨はゆっくり僕の事を冷静にさせてくれた。 雨と一緒に涙は止まった。
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