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2002年06月13日(木) 他人の。

他人の言葉って面白い。
自分の中での定義と全く違うものを持ってる人と話してると、面と向かって話しているはずなのに感覚的には2秒くらい誤差が生じる。

例えば『適当』という言葉。
斎藤は発音で意味の区別をしています。
『適当』が相応しい・適度で、『テキトー』がいいかげん。
中学のときの先生は『適当』の意味がすべて後者であると思っていたのかもしれない。だって私が某演説のための原稿を提出したとき、「とりあえず適当と思われるものを作ったんですけど」と言ったことで『コイツ絶対落とす』と決心したらしいから。(これはそのとき一緒に選挙に出たヤツが言ってたので、多分実話)

違うって。いいかげんに書いたら「とりあえずテキトーに書いてみたんですけどぉー?」って言うよ、私は。口は災いの元、人の認識を過大評価するのはトラブルの元、そして思い込みは亀裂の元。
怖い怖い。

そんな感じで他人の文章を読んでると、単語ひとつひとつに込められたニュアンスが自分と似ているなと感じる人と偶に出会うんです。形と容、型の区別とか、辞書的な意味は勿論ですけどそれ以上の細かい部分での(自分たちの中での)違いをはっきりと確かめられたときなんて、もう「うちら兄弟か」って気分になりましたもの。
心の細胞が似ていると表現したのは誰だっけ。
カタチは違うけど、それを構成しているパーツは仮に一部分を移植したとしても決して違和感なく馴染む。

でも同属嫌悪ってものもあって、難しいところ。
自分と同じモノを感じたときに、その人を受け入れられるかどうかっていうのは何処で決まるんだろう。自分を肯定できる人ならば同属を許容できるなんていう答えは今更期待してない。だって一概にそんなことは言えないから。
自分のヤなとこを外から見てるのも時に楽しいし、逆に近づくのさえ怖いときだってある。友達ならいいけどね、っていう台詞も聞くけど、反発して友達どころじゃなくなることも。




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斎藤基栄
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