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2002年05月19日(日) 照明。

ついに買い換えました。
前の住人が置いていったモノをそのまま使用していたんですが、我慢と目が限界に達したので某電器店へ駆け込みました。
吊り下げ式は部屋が狭くなるし、暗いんですよねー。2年間も我慢したから、ってことでツインPa買ってもた。明るいんですよ。これがまた。なんか無駄に嬉しがってるよな気もするけれど、念願だったんで。…微妙に腕が痛いけど。三宮から持ち帰るのは意外にツラかったんです。

さて。本日のお題だったはずの「照明」はこれで終了。
…はやっ。


中学生日記について一言。(あ、斎藤は学校モノのドラマとかぶっちゃけ苦手なんですけど、今回はチャンネルそのままで見てたということで)
真剣に観てたわけじゃないから内容はあんまり定かじゃありません。というかテーマは関係なくって、とある登場人物のセリフが気に食わなかっただけです。
なんていう台詞かといいますと、「信じてくれ」っていうヤツ。
教師役の人がこれを連発してたんです。不良役の子に対して。
不良役の2人のうち、1人は「信じてみるよ」って言って、もう1人は「大人なんて信じられねぇんだよ!」って反発。で数年後、反発した方は少年鑑別所に入ってて、更生した(らしい)方に手紙で「俺もお前みたいに信じられる人が欲しいよ」なーんて語るわけなんです。

『大人なんて信用できない』っつー台詞を『自分のことを信用しろという人物は信用できない』とするほうが私的にはしっくりくるんですけどね。

ま、そんなのは置いといて。
もっと不自然だと思ったのは、教師を信用したら更生して、友人だけを信用したら鑑別所、っていうストーリーですよ。
なにソレ。チャチな勧善懲悪?

オトナの言うことに従っている大多数の人間は何の問題もない『普通の』生徒として描かれていて、分かりやすい表面的な反発をしている人間のみが『問題のある』生徒だという。んなアホなことがあるかっつーの。はっきり言ってホントに問題がある人間は所謂『フツー』の生徒の中にいるんだから。

あとねぇ、熱血先生の言うことには盲目的に従ってオッケー、ってのも気になった。世の中には落とし穴を目の前にしながら、笑顔で手招きをする人間もいるんだっての。

こんなことを書いてると、なんか自分が人間関係に対して物凄く否定的な態度を取ってるような気がしてきた(笑)
いや、別に感情的にはこうなだけで実際にはそんなにもあからさまじゃないとは思ってるんですが。日本的社会集団に違和感を感じる事もそれなりにはあるけれど。でもその程度としては、みなさまと同レベルっすよ。きっと。
なんかの機会に「あれ?」って思うことないですか?

んー、ともかく信用ってのは自分から求めちゃダメだと思うんです。普通は長期にわたる活動の中から自然発生的に存在するようなものかな、と。で、もし短期間に発生するならば、そこにはきっとある種の契約が存在すると考えてます。
その契約の要素となりうるものは、既に第3者を介して形成された人的ネットワークだとか、金銭、共通の目的や集団などなど。
担保となる要素が多ければ多いほど(当事者間において重複するほど)その結びつきは急速かつ強固に形成されていくのではないでしょうかね。

そうそう。最後まで不良役だった子の台詞、「裏切られるなよ」ってのは理解できなかったり。や、国語のテストとか道徳の授業で求められる答えならばわかりますよ。分かんないのは別なもの。

どうも『裏切られる』ってのはよく分からん。世間では、味方だと思っていた人間が敵方にまわることを裏切りというんですよね。
斎藤は味方が、ってところから分かんない。どんな環境でも100%自分を擁護できるのは自分だけちゃうん?って思うから。明らかに自分が間違ってるときにも他人に後ろ盾になってもらおうっつーのはどう考えたって無理があるでしょ。「友達だから自分の味方になって当たり前」ってのは物凄く傲慢な考え方だと思いますよ。
そりゃ自分に近い人には自分を肯定してもらいたいです。
でも強要しちゃいけないだろうし、自分からなんのアプローチもしないですべてを許容してもらおうなんて虫がよすぎるような。

自分が悪いとき、それでもなお味方が欲しいのならば、どんな手を使っても自らの考えを理解し同調してもらえるような人物をつくりあげるしかないでしょ。そこまですることができないのならば、周囲に迎合するのも一手?

「しなやかに」と言ったN県知事。
それができたらいいなと思う、斎藤。


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斎藤基栄

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