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2002年04月23日(火) 工業図案。

インダストリアル・デザインというやつです。
最近こういうのに俄然興味を抱き、図書館の本を読み漁っています。
でも工業デザイン関係の本って、研究室貸出(つまり長期貸出=読めない)になっているものが半分くらいあるので書名で片っ端からチェックしていっても勝率5割。くそぅ。
しかも面白そうなのとか新しいのとかが、ない。

ちっ、研究室が優先ってか?
趣味で読んでるようなヤツにまわす本はねぇよ、ってか?
そんなケツの穴の小さいコト言ってるから立花サンが『大学生は(以下省略)』とかいうトンデモ本書いちゃうんじゃないの?
もっと教育に金を廻してくれ。文部科学省。というかミセス遠山。
ずーっと文化関連事業で頑張ってきたんだから、教育の必要性は充分過ぎるほど理解してらっしゃるでしょ。うん。指導要領削減の一方で中高一貫制を推進させる方針を示す等、一応の学力低下対策は取ってるみたいだし。

ちょっと横道逸れますけど、自分の子供が学校教育を受ける頃にはどんな制度になってるんでしょう。
日本はね、わりと『周りと同じように』育てなきゃいけない、でも『皆より優秀に』育てると褒められるんですよね。親が。いや、勿論子供も褒められますよ?近所のおばちゃんとかに。「○△ちゃんは偉いわねェ」って感じで。でもそれはあくまでも子供自身を認めてるわけじゃなくって。
子供もバカじゃないからちゃんと大人の本音と建前ってのを分かってるんです。特にそういう「イイコ」は。じゃないと大人にとって「都合のイイコ」になっちゃうから、自己防衛ですね。
(以下長くなりすぎたため36行削除)

あ、では本筋に戻りませう。
プロダクトデザインってのは手工業の時代からあったってのはオッケーですよね。そしてカスタムメイドだから、どうしてもデコラティヴに走る。アールヌーボーとかが代表的?で、文化って反発して次のモードが到来するってことでセ・セッションへ。機能主義から実用主義。有名な『形態は機能に従う』もこの頃に出てきた言葉です。
フォードやデル、イケアなんかも大量生産と実用主義ってのを見事に体現してる企業ではないでしょうか。そっけない、ある意味ダサいとも形容されるプロダクトデザイン。でも裏を返せば誰にでも受け入れられる素養があるってことで。

ま、実用主義の行き過ぎを危惧する声も勿論あります。文化の堕落に繋がるんじゃないのかというお叱りが。うーん、これはどうかなぁ。だって、斎藤はシンプル好きを自認してますけど、でもたまにはデザイナーモノの雑貨とか家具とか、選びます。思いっきり鮮やかな色とか斬新なフォルムとか。そういう一風変わったものはデザイナさんしか作れないと思うんですよ。だから実用主義一辺倒になるってことはないと思うんだな。アクセントって、必要でしょ?

今、世の中は不景気だから、安くないとダメ、っていう人もいます。しかしながら実際のところブランド物は変わらずどころか売上を伸ばしているし。中堅は落ちて廉価とブランドが生き残っている。3年前くらいからずっと言われ続けている市場の二極分化ってヤツですね。

ところで。
結局去るのはいいモノを作れなかったところなんだ、と評論家さんは言いますが、そりゃ短絡的すぎなんじゃないっすかー?とこっそり反論してみたり。
それはね、いいモノを作ったのになんで売れないんだ!と憤りを感じている技術者さんと同じ視点なんですよ。『自分は最高の技術をつぎ込んで、今の時点で最高の製品を作り上げた。なんで皆はこの良さが分からないんだ。そうか、理解できないんだな、可哀相なヤツらめ。』という思考。
少しは商売、勉強した方がいいッスよ、とおせっかいにも言いたくなります。
だって、キツイこと言うならば。自己満足で金が稼げるか!ってことですよ。顧客のニーズに応えてこそ成り立つんでしょ、企業って。これだけいいもの作りました!じゃなくってこれを使えばこんなことがこーんな簡単にできまっせ、とプレゼンすることが必要なんですよ。
日本人は自己主張するのが苦手だとの評価受けてますが、それに甘んじちゃいけませぬ。事なかれ主義も後押ししまくってるんでしょうが。
斎藤自身もプレゼン苦手なんですが、頑張りたいです。ビジネスプランのコンペで300万くらいは奪ってこれるように。

そういや、どうしてこんなに日記のカウンタがまわってるんだろ…。


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斎藤基栄

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