2003年01月06日(月) |
「個人を踏み台にする国家」とは何処ぞ? |
今年最初のアサピー歌壇・・・。
最初に家永三郎が登場。
◆ 日本がやってきたことの「いやらしさ」と闘いつづけた家永三郎 (須崎市 森美沢 近藤芳美選)
※・・・これって、短歌と呼べるものなの?
◆ 戦場は死にゆくところ単純に忠義と言われ果てしわが友 (新潟市 佐藤文夫 馬場あき子選)
※北に拉致された日本人を取り戻すためなら、我々愛国的日本人は、石原慎太郎に言われなくたって志願して北へ攻め込みます。それ以上の忠義があるでしょうか。
◆ 灰色の雲を背に立つ冬の虹個人を跨ぐ国家に見えし (静岡市 篠原三郎 島田修二選)
【選者の評】個人を踏み台にする国家をシンボリックに捉える。
※どこの国のことを詠ったの? 当然北朝鮮だよね? え、違うの? 拉致被害者5人の「一時帰国」の約束を破って家族の元へ返さない日本の国のこと?(この作者は朝日歌壇常連のマルキスト教授です) 朝日歌壇の特徴の一つに、「論破されやすいことを述べるときは、言葉や対象をあいまいにする」というのがあります。この場合、「個人を跨ぐ国家」がどことは限定していません。本当は日本だといいたいのでしょうが、それを言ってしまうと「それは北朝鮮のことだろ!」と簡単に突っ込まれるからです。だから言い逃れが出来ます。この手法は他の年↓にも登場しました。
(例)笛という全体主義の象徴に集散なしゆくマスゲーム怖し(96年7月) 【選者の評】笛―全体主義―怖し、という論理をたどり、読者の感受性に訴えるものがある。
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