ストラグルのやまい  2008年06月22日(日)
その時代の中ではまだ全く理解されない世捨て人のような、しかし後の世では類稀な天才として認められることになる画家「彼」;ストリックランドと、主人公「僕」との会話。「彼」の表現しようとする何かが理解できないながらに、何か途方もないものを表そうとしている苦闘であることを「僕」が気付いたシーン。

「・・・それらの絵は、たしかに何か知るに値する物を語っている。だがそれが何であるか、僕にはわからなかった。事実それは醜悪にさえ見えた。だが、そこには暗示されてこそいないが、何か途方もない大きな秘密のようなものが暗示されている。とにかく見る人の心をひどくいらいらさせる作品であった。それは、自分でも分析しきれない感動なのだ。言葉ではなんとも言い表せない何物かを、それらの絵は語っている。」
(P247)

「・・・しかもそれは、彼自身にさえあまりに奇怪で、ただ不完全な象徴による暗示以外には、表現の方法を知らないらしいのだ。いってみれば、宇宙の混沌の中に、一つの新しい範型を見出したとでもいうか、それを、彼は、いかにも不細工に、魂を責め苛みながら、キャンヴァスの上に描きとめようと悩んでいるのだ。表現の解放を求めて、血みどろになって苦闘している一つの魂を、僕はそこに見た。」
(P247)

伝統的な写実主義の絵画の世界から、ついに、象徴・印象主義へと切り込んでいく視点を持ったごく一部の「無名の天才」が現れ始めた、その萌芽の瞬間について描かれている。

「・・・われわれは、この世界にあって、みんな一人ぽっちなのだ。黄銅の塔内深く閉じこめられ、ただわずかに記号によってのみ互いの心を伝えうるにすぎない。しかもそれら記号もまた、なんら共通の価値を持つものでなく、したがって、その意味もおよそ曖昧、不安定をきわめている。笑止千万にもわれわれは、それぞれの秘宝を何とか他人に伝えたいと願う。だがかんじんの相手には、それを受け容れるだけの力がない。かくして人々は肩を並べながらも、心はまるで離れ離れに、われわれも彼を知らず、彼らもまたわれわれを知らず、淋しくそれぞれの道を歩むのだ。」

「・・・たとえていえば、美しいこと、神秘なこと、それこそ限りなくさまざまの語りたいものを持ちながら、ほとんど言葉も通じない異郷の人たちの間に移り住み、やむなく陳腐な会話入門の対話を繰り返しているよりほかない人間、それがわれわれの姿なのだ。頭の中は思想で煮えたぎっている、そのくせ口に出して言えることは、園丁の叔母さんの傘が家の中にあります程度の、くだらない会話にすぎないのだ。」
(P248)

<以上、引用『月と六ペンス』モーム(新潮文庫;中野好夫 訳)>

私がずっと言いたかったことを、直截なまでにそのまま言い表している一節があって、とても胸がぎゅっとなった。あまりに不意打ちだったので、眩暈を覚えた。そうなのだ。それが言いたかったのだ。

誰も私の思うことや感じることには振り向かない。例え1時間後の自分自身でさえも、興味は無かったりする。そして当の私自身が、その「何か」を相手に伝わるようになんて表すことはどうしても出来ない。せいぜい、衛星が惑星の外側をぐるぐる回るように、永遠に核に辿り着かないままに、その周辺のことについて言葉を弄するだけだ。
そして伝わらなさをどうにかするための苦闘を続けるだけの執念や情念というものは、もっと安易で安全なものに置き換えられて、消費されていく。毎日の日課とか、恋愛とか。

そのもどかしさは、もう、咽喉と胸を切り裂いて直接に曝け出したらどれほど早いだろうかと考えてしまうぐらいだ。考えたところでどうにかなるものでもない。毎日はまたごく平穏に繰り返される。血みどろの苦闘は回避され、目を瞑ったままでも歩けそうなほど同じ道を間違いなく歩くのだ。

このどうしようもない想いは免疫性疾患の重病のように、忘れた頃に再発し、私をどうしようもなく答えのない危ないところに持って行こうとする。仕事がおろそかにならないよう、様々な麻酔を用いて、気を逸らすだけです。

一体どこの誰に、何を伝えたくて生きているのか? 私にとって「君」って誰なのか? それすら解らないままに「何か」が巨大な気配となって攻め入ってくる。私はお伊勢さまに脳を操られた農民のように、えらやっちゃえらやっちゃヨイヨイと小躍りするばかりである。なむ。

ヽ(`□´ )ノ やっちゃ やっちゃ。




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