図書館に並ぶ数々の小説、特に若手、最近出たもの。それらを手に取り、ぱらぱらめくる、ああもう、あかん、あかん、あかんたれ。水気ばかりが多いジャバジャバのカレー食わされた気分。どいつもこいつもタイトルと装丁ばかりが気合入ってる。まるで「新時代を切り拓く新進気鋭の〜〜」と自ら標榜し、衣装を身に着けて現れたような。ふん。くそったれいまいましい。こんなものを読んでいるぐらいならスーパーの豆腐売場で豆腐を見ている方がはるかに楽しい。もめんと絹ごしが微妙な割合で対比配列されている上に、豆腐自体もパッケージも白い。美しい。おまけに中には子宮内の羊水のごとく、少し色のついた水がぱんぱんに詰まっているのだ。おお生命の原初。これぞ生命。我等は兄弟。思うに豆腐のパックというのは、人間が己の生まれ出ずるルーツを可視状態にし更には節食(同化吸収)したいという願望を込めて日夜生産されている!!! 私は新時代の作家、アーティストよりも豆腐を支持する。同様に、閉店間際になって、割引シールを張られていても売れ残ったままの惣菜など、これも大いに支持する。彼等が語り掛けてくる、あたかもカゲロウのような短命の生涯は、一体何なのか? 世に完成品として生み出されたものの、ある意味、売買用の食品として不完全さ(保存加工がされていない、生の状態)。たった一日(実質半日?)でダメになってしまい、人に食べられなければ棄てられてしまう。これは一体何だ! はあはあ (>_<)まめがくさると書いて豆腐。 正直言って、ちょっとした偉才や天才など、憂鬱なのだ。 「まめがくさると書いて豆腐」→「豆腐は腐ってるのか?」→「腐ったものを客に食わす気か!」という市民による発狂的言葉狩りの紛争が煮えておらぬこの日常世界というものを、穿つことは、非常に難しいように思われる。 憂鬱である。 この現実世界を穿つには、並の才能では無理なのだ。郵便ポストを見て、赤い服を着た肥満漢だと思えるぐらいの狂気がなければ絶対に穿つことは出来ぬ。絶対にだ。絶対。しかしそんな大層な錯誤をしてしまう人間の大半は、病院に入っているか施設に居るかであって、世には出てこない。居るとしても家で大人しくさせられておるだろうか。茶碗を頭にかぶってうろうろします。冗談じゃない!こんな世界で生きておれるか!おれは風呂に水を張って浸る! もう寝る! (>_<)ダー! |
writer*マー | |
★↓729参加・総合リンク↓★
☆テキスト・アート☆
☆☆ダークゾーン☆☆