姉が躁病になったのは、2回。 1度目は私よりも寧ろ祖父への打撃の方が酷かったように思う。 祖父は随分と取り乱していたようだから。 2度目は、私。私への打撃は凄まじかったと言っていい。
2度目の方が私の心に占める割合が大きく、1度目の姉の躁病の時の記憶は、割と断片的。 逆に、印象に残っている事だけは鮮やかに甦る。
1度目の躁病の姉、覚えている事。 姉は酷く挙動不審、言動不審だった事。
実際には居ない、知らない人の名前とその人の関係を話して聞かされた。 頷く事もできずにただ黙って聞いているだけの私を、「何であんたは分からんの?」と、さも不思議そうに訪ねてきた。 警察に電話をして殺される助けて!と助けを求めた。 警察に電話をしてうちに変な人がいると助けを求めた。 実際に警官の方が様子を見にきてくださって、姉は兄を指しながら(姉から見れば弟)「この人変な人やから捕まえて!」と言っていた。 何度も何度も警察に電話をしようとする姉を止めようとした母を、蹴り倒した。
うちではどうしようもないと、姉は精神科に入院した。
姉は毎日毎日電話をかけてきた。 留守番電話も姉ばかりだった。 私はそれが嫌で嫌で堪らなかった。 電話の受話器を外しておいた。 母が元に戻した。 電話のコードを抜いておいた。 母が元に戻した。 それを繰り返した。
電話の内容はその時々だった。 ありもしない人の名前を呼んで「そこに居るんやろ!?」と言っていたり、 弱々しい声で迎えにきて、ここから出たい、助けてと延々と繰り返していたり、 命令口調で病院に持ってきてほしい物を言っていたり。
母は、姉に掛り切りだった。 毎日のように病院へ通っていた。
おもしろくない。 おもしろくない。 こんなの、嫌だ。
高校2年生、3学期。 私は1日も学校へ行っていない。 3学期は全部休んだ。 修学旅行も行っていない。
当て付け。 それが一番しっくりくる言葉だろう。
学校が嫌だから休んだんじゃなく。 姉が嫌だから学校を休んだ。
物凄く子供染みた行動なんだろう。 全く話の通じない、筋の通らない行動なんだろう。 ただ母に構ってほしい一心の表れだったのかと思う。 酷く間違った表現、自分の首を絞めるだけの表現。
とにかく私は、学校へ行かないのは姉の所為だと主張した。 あんな人ほっとけばいいと母に言った。
母はそれでも、姉に掛り切りだった。
姉への感情は悪くなる一方。
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