告白。ただ、どうしようもない、告白。

2003年03月03日(月) 電話なんていらない

姉が躁病になったのは、2回。
1度目は私よりも寧ろ祖父への打撃の方が酷かったように思う。
祖父は随分と取り乱していたようだから。
2度目は、私。私への打撃は凄まじかったと言っていい。

2度目の方が私の心に占める割合が大きく、1度目の姉の躁病の時の記憶は、割と断片的。
逆に、印象に残っている事だけは鮮やかに甦る。


1度目の躁病の姉、覚えている事。
姉は酷く挙動不審、言動不審だった事。

実際には居ない、知らない人の名前とその人の関係を話して聞かされた。
頷く事もできずにただ黙って聞いているだけの私を、「何であんたは分からんの?」と、さも不思議そうに訪ねてきた。
警察に電話をして殺される助けて!と助けを求めた。
警察に電話をしてうちに変な人がいると助けを求めた。
実際に警官の方が様子を見にきてくださって、姉は兄を指しながら(姉から見れば弟)「この人変な人やから捕まえて!」と言っていた。
何度も何度も警察に電話をしようとする姉を止めようとした母を、蹴り倒した。

うちではどうしようもないと、姉は精神科に入院した。

姉は毎日毎日電話をかけてきた。
留守番電話も姉ばかりだった。
私はそれが嫌で嫌で堪らなかった。
電話の受話器を外しておいた。
母が元に戻した。
電話のコードを抜いておいた。
母が元に戻した。
それを繰り返した。

電話の内容はその時々だった。
ありもしない人の名前を呼んで「そこに居るんやろ!?」と言っていたり、
弱々しい声で迎えにきて、ここから出たい、助けてと延々と繰り返していたり、
命令口調で病院に持ってきてほしい物を言っていたり。

母は、姉に掛り切りだった。
毎日のように病院へ通っていた。


おもしろくない。
おもしろくない。
こんなの、嫌だ。



高校2年生、3学期。
私は1日も学校へ行っていない。
3学期は全部休んだ。
修学旅行も行っていない。

当て付け。
それが一番しっくりくる言葉だろう。

学校が嫌だから休んだんじゃなく。
姉が嫌だから学校を休んだ。

物凄く子供染みた行動なんだろう。
全く話の通じない、筋の通らない行動なんだろう。
ただ母に構ってほしい一心の表れだったのかと思う。
酷く間違った表現、自分の首を絞めるだけの表現。

とにかく私は、学校へ行かないのは姉の所為だと主張した。
あんな人ほっとけばいいと母に言った。

母はそれでも、姉に掛り切りだった。


姉への感情は悪くなる一方。




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深海 [MAIL]

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