告白。ただ、どうしようもない、告白。

2003年01月24日(金) 私の登校拒否

姉が高校を辞めた頃に、私は中学生になった。
新しい環境。冷たい空気。

この学校は、嫌いだ。

確信した。
私はこの学校を好きになれない。


友達は出来た。
休み時間に話す子も出来た。
放課後に一緒に遊ぶ子も出来た。
休みの日に一緒に出掛ける子も出来た。
だが、学校自体が好きにはなれなかった。

締め付ける感覚。排他的な感じ。
小学校の時とは明らかに違った。
生徒に接する教師の態度がどこか違う。
この学校には、生徒を分ける境界線がある。
私は所謂「真面目」なグループに入っていただろう。
教室には所謂「不良」というグループの子もいた。

人のタイプが急に増えた。
面白い人、大人しい人、人を見下す人、何時も笑っている人…。
この人は好き。この人は嫌い。
私は好きなタイプ、嫌いなタイプを境界線で分けていった。
私も人から境界線で分けられるようになった。
私を嫌う人もいた。
それは当然の事。
人の数が多ければ、好きと嫌いも増えてくるのは当然の事。

小学校の頃のなあなあは、中学校では通じなくなっていた。
私を嫌う人は、私を嫌う意思を端々から発していた。
私はそれを息苦しく感じた。

そして、学校に行きたくなくなった。
学校というものが、人というものが、怖くなった。


子供が学校へ行かない事に、母は最初怒った。
行くように促した。私が小学生の頃は、無理やり引っ張って連れて行かれた事もあった。
でも、姉が中学校、高校で登校拒否、兄が中学校で登校拒否、私も中学校で登校拒否をするようになって、
あまり何も言わなくなった。
母は朝私に声を掛けて、私が学校へ行く意思のない素振りをすると、一言「そうか」と言って居間に下りていった。
暫くそれを繰り返すと、朝に声を掛けてくる事もなくなった。


…嘘は、吐かない。取り繕わない。
誓約。
一つ、言おう。

私は姉が「ずるい」とずっと思っていたから。
だから私も「姉のように」楽をしたいという思いが心のどこかにずっとあった。

苦しい故の登校拒否。その感情も確かにあったけれど。
それと同時にさぼりたいが故、楽をしたいが故の登校拒否でもあった。
そういう気持ちも、確かに、あった。

私は心の病の姉を出しにして、さぼろうとするずるい人間。
姉を出しに言い訳をしようとする卑怯な人間。


これから後の狂気も、私のこの心が招いた事。







↑エンピツ投票ボタンです。当時はあんなによく遊んでいたのに、と思うと、あれが私たちなりのなあなあだったのかと思う。


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深海 [MAIL]

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