姉が高校を辞めた頃に、私は中学生になった。 新しい環境。冷たい空気。
この学校は、嫌いだ。
確信した。 私はこの学校を好きになれない。
友達は出来た。 休み時間に話す子も出来た。 放課後に一緒に遊ぶ子も出来た。 休みの日に一緒に出掛ける子も出来た。 だが、学校自体が好きにはなれなかった。
締め付ける感覚。排他的な感じ。 小学校の時とは明らかに違った。 生徒に接する教師の態度がどこか違う。 この学校には、生徒を分ける境界線がある。 私は所謂「真面目」なグループに入っていただろう。 教室には所謂「不良」というグループの子もいた。
人のタイプが急に増えた。 面白い人、大人しい人、人を見下す人、何時も笑っている人…。 この人は好き。この人は嫌い。 私は好きなタイプ、嫌いなタイプを境界線で分けていった。 私も人から境界線で分けられるようになった。 私を嫌う人もいた。 それは当然の事。 人の数が多ければ、好きと嫌いも増えてくるのは当然の事。
小学校の頃のなあなあは、中学校では通じなくなっていた。 私を嫌う人は、私を嫌う意思を端々から発していた。 私はそれを息苦しく感じた。
そして、学校に行きたくなくなった。 学校というものが、人というものが、怖くなった。
子供が学校へ行かない事に、母は最初怒った。 行くように促した。私が小学生の頃は、無理やり引っ張って連れて行かれた事もあった。 でも、姉が中学校、高校で登校拒否、兄が中学校で登校拒否、私も中学校で登校拒否をするようになって、 あまり何も言わなくなった。 母は朝私に声を掛けて、私が学校へ行く意思のない素振りをすると、一言「そうか」と言って居間に下りていった。 暫くそれを繰り返すと、朝に声を掛けてくる事もなくなった。
…嘘は、吐かない。取り繕わない。 誓約。 一つ、言おう。
私は姉が「ずるい」とずっと思っていたから。 だから私も「姉のように」楽をしたいという思いが心のどこかにずっとあった。
苦しい故の登校拒否。その感情も確かにあったけれど。 それと同時にさぼりたいが故、楽をしたいが故の登校拒否でもあった。 そういう気持ちも、確かに、あった。
私は心の病の姉を出しにして、さぼろうとするずるい人間。 姉を出しに言い訳をしようとする卑怯な人間。
これから後の狂気も、私のこの心が招いた事。
当時はあんなによく遊んでいたのに、と思うと、あれが私たちなりのなあなあだったのかと思う。
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