きまぐれにっき  β




2006年02月15日(水)  今井君・・・?

みなさん覚えておいででしょうか?
イラク3バカと呼ばれた中の、今井君
彼のブログがただいま絶賛炎上中なわけですが

その中で、彼が衝撃の告白をしました
自作自演であったと認めるにも等しい発言でした

今井君のブログ
ttp://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/archives/50472130.html?1139980389
今井君、こんなこと書いて、某勢力から抹殺されないかと心配になってきます

とぶのめんどくせーって人には引用しますので、どうぞ

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当時、私たちは自分たちが人質だったということは知りませんでした。日本では当時、「72時間以内に殺される」と報道されていたそうですが、僕らはそのことすら知りませんでした。一日目、ビデオが撮られた後言われたのは「3日で帰す」とのことだけでした。その後、9日間人質にされていたわけですが、僕ら側からみれば1日目と2日目は恐怖の体験が多くありましたが、3日以降は移動の自由が制限されていただけでした。僕ら自身はずっと拘束されているだけで、たぶん彼らが何らかの事情で出せなくなってしまったのだろう、と考えていました。ただ、8日目にアルジャジーラを見て家族を見たときは「何か大変なことが起こっている」とは感じましたが、そのときは人質になっていることは気付いていません。

 解放後、私たちはモスクに連れて行かれアルジャジーラのスタッフと日テレのステッカーをつけたビデオを持つイラク人通釈者と会いましたが、そのとき高遠さんが「イラクに残りたい」といいました。また、私たちはイラク人通訳者に「乾杯しよう」といわれて乾杯しました。しかし、そのとき日本で起こっている現状などはまったく知ることもありませんでした。

 モスクから日本大使館に移動後、NHKのテロップに「人質解放」と書いてあることから、あれ、私たち人質だったんだ、ということに気がついたと思います。しかし、実際に私たちが日本での現状を知ることは、日本に帰るまではあまり飲み込めていなかったと思います。私たちは日本大使館に一泊した後、ドバイで一度「入院」させられましたが、病院に入るときに多くの報道陣がいたことはもちろんわかります。しかし、そのときは事件の重大さはほとんどわかっていませんでした(少なくとも私は)。
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