独白2
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2003年01月26日(日) 人じゃないもの。

今日は昨日撮った(というかむしろ一昨日ですか?)「千と千尋の神隠し」を見てました。
待たしても夜中ですが。
つかむしろもう朝ですが。
この前の8時からやってた「千倍楽しむ〜」から撮った私。
ちゃっかりとってますよ!当たり前。
なんつーかですね、私は本編も好きですが、やっぱり製作過程が気になるのですよ。
一応役割柄?とでもいうのですか?まあなんといっていいかわかりませんが。
だって役割こなしていませんもんね。
ええ、全く。

そんな感じでも気になるのはやっぱり製作過程なんですよね。
製作過程を見ているだけで泣きたくなってきます。
てゆーか泣きます。
これが私にとってどんな意味があるのか。
多分ホントに悔しい?とでもいうのですか?ああ、でも少し違う気もするのですがね。
でも多分そうなんだと思います。
私は変なところで本当に極端で、中途半端を嫌います。
といっても私の人生は中途半端だらけですけどね。
だから終わらせたくて仕方ないのですけどね。
でもそれすらまっとうできない私の中途半端さ。

そんなことはさて置き。
私が悔しいなあと思うのは、私が中途半端に「作る」側の人間であるからです。
私はプライドが高いせいか、矛盾をなくしたいからか、それすら曖昧で中途半端でどうしようもないですが、同じように「作る側になりきれていない」S籐さんに、「そんなに悩むのはどっちつかずだからだよ。しょうがないなあ。私なんてきちんと趣味で割り切っているよ」と大口を叩きます。

全然割り切れていないです。
だから私はいつまでたってもきちんとした意味で映像、物語で感動ができていない。
きっと悔し涙なんだと思います。
前にも書いたとおりなんで、千と千尋〜のことはとくにはかきませんが、私が涙したところはやっぱり同じで、私が思うことも一緒でした。
好きになるということは、成り代わるということで、出来上がった人で無いものを好きになったとしても、それを先にされていたならば、自分がやったとしてもまねでしかない。
自分ができなかったことを、先にやられて気付いたときにはもう遅い。
だから悔しいのだろうし、同時に羨ましくて、どうしようもなく好きで、でも帰ってくるものは何もなく、ただどうしようもない感情を持て余してごちゃ混ぜになった無駄なものが収まるのを待っている。

私が完璧な見る側に回れればそんなことを感じる必要は全くなくなるし、そこで綺麗に感動して、素晴らしいといって、うまく行くのでしょうね。
自分の人生の無駄さなんか考えないで、ただ凄いといえるのでしょうね。
どっちつかずにやっていって、結局選んだ道がまたどっちつかずの道。
結局表現が文字と、画面から変わっただけで、自分を表現することにはかわりの無いどうしようも無い世界。
私はここではきちんと小手先だけの勝負をしようと思っていたのにも関わらず、それすら上手くいかない。
小手先すら勝負にならない。

そしてたとえ完璧に見る側に回ったとしても、そこにも結局生きることの意味という陳腐な言葉しか出てこないが、とにかくそんな感じのもの?
それは無いわけだ。

一番矛盾をなくしてすごしたいのならば、死ぬのが一番なんでしょうね。
早く死ねるものなら死んでしまいたい。
ああ、気持ちのわるい物言いだ。
根暗なつもりは無いんです。
普通に、自分の求めるものを解決するにはこれしかないのだろうなあという結果にすぎないんですよ。
まったく、どうしようもない。


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