浮き沈み日記。

2003年08月01日(金) 将来のユメ

ふと、将来のユメってものを考えてみたりした。

もうユメなんて語る年齢じゃないかもしれない。

でも人生はいつでもスタートできるでしょう。

小学生のころから、『高校は公立に行かなきゃ』という暗黙のルールが我が家には存在していた。
私立はお金かかるしね、、、間接的に『我が家は切迫してる』というのは幼心からそれとなく理解してた。

兄もそれを意識してなのか、公立高校に通いそのまま就職コースへ。
私もそうする予定だった。
公立高校へは無事に入学、卒業。

情報処理科に通っていたので、そこから大学を狙うのは高校からの推薦くらいしか無理(だって数学で微分・積分なんて習ってないもの)。
おまけに情報処理科から大学へ進学したのは私の学年ではいなかった。

そのとき、漠然になりたかった職業。

小説家になりたい。

小説のような文章は幼いときからずっと書いてた。
現に中学時代から友達に小説を見せたりしては、批評もらってた。
高校では投稿してやろうかと(ウイングス系に)思ってたんだけど、
「アンタの書く小説は文芸春秋とかに載ってそうだからウイングス系はやめたほうがいい」
なんて言われたので、高校で文芸春秋系はイヤだなって思って投稿しなかったんだった。
ちなみに私が書く小説は今で言う「角川ミステリー文庫」系。
あのころは芥川龍之介やら太宰治の影響を受けまくってたからな、、。
現在は純文学は書いてないです。

親に「小説家になりたい」なんて言ったら。
笑われるどころか蔑まれるのが関の山。
それどころか就職して早く家にお金入れてちょうだいって感じだった。

まぁ、そのぶん高校で演劇の脚本を書いて気を紛らわせていたのも事実。
演劇で舞台照明で知事賞をもらったことは今でも嬉しかったこと。

大学の文学科へ行きたかったんだけれど、、、、。

卒業してから、『当たり前のように就職』した。
働いたお金は貯金と家に入れて消えていった。
小説家になりたい、なんてことは親に一度も言うこともなく。
自分で金を貯めて、大学行ってやるって思ってた。
ボーナスも、もちろん貯金と家に消えた。

あるとき。

親が「貸してちょうだい」と言ってきた。

貸す=戻ってこない
理解してた。
今まで貯めてきた大学への貯金、ほぼ全額渡した。

いつの間にそこまで家計は切迫していたのか、理由はわからない。
別に贅沢な生活をしていたわけではないのに。
奨学金等で大学へ通おうかとも思ったが、もういいやって思った。

それなら手に職つけてやる、って思って専門学校へ通った。
そこの専門学校は授業料が安かったし。
専門学校は多忙で、学校行きつつ病院で勤務という状態だった。

その2年間の間でも親からは、
ときおり「1万円貸して」やら「5千円貸して」やら言われていた。

99年ごろからインターネットをやり始めたのだが、
電話代を払っていないからネットも出来なかったことがあった。
家に携帯電話でかけたら「お客様の都合によりお繋ぎできない」コール。

専門学校ではイジメはなかったが、病院内でのイジメがすごかった。
友達がまずイジメられ、それが原因で退社したら私がターゲットに。

兄、そのあたりで失踪。2回くらい。

さっさとそこの病院は辞めて、次の病院(去年8月に辞めたところ)へ。

親、精神的ショックで働けなくなる。

私、働くしかなかった。
ゴハン食べられないよ?電話もガスも水道も止まるよ?
家賃払わないと退去させられるよ?

働かないといけない。働かなくちゃいけないんだ。
働いてるのは私だけ。
働かないと、お金貯めないと、そして家に入れないと。

小説家なんてユメは無理だと思った。
書く暇無かった。書くことさえも無理だった。

私、おそらくそのときあたりから壊れてたのかな。

既に壊れていたのかな。

それだけで壊れてしまうなんて、弱いよね。

あーあ、長文になってしまった。

それからビョーキが明るみになるも、親からお金は徴収されるのでした。

<追記>
明日と明後日と日記、更新不可能になりそうです。
オトナの事情、で済まされてきた幼い頃の私のように、
理由として「オトナの事情」ってことで。
ケータイからも書けるようだけど文字化けてしまうんだよなぁ。



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蓮華 [MAIL]

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