嘆息の記録



映画館「そのときは彼によろしく」

2007年06月06日(水)

長澤まさみに興味があったのでみたってのと
ここのところ映画をみて泣く、という行為が気持ちよくて
かなり頻繁に行くようになった。

4年ぐらい前まで。

私には喜怒哀楽の4つのうち楽しかなかった。
喜びはあいての怒りに打ち消されて
怒りはわかずになんでこんな事になるんだろうと思い悲しくなり
悲しくなってしまうと趣味へ逃げる。
趣味だけが楽だった。

もともとお涙頂戴の映画は大嫌いだった。
自分のなかでそんな涙はいらないと思っていたから。
私のほうがぜったいに悲しくなるぐらいすごいことばかり経験してるし
そんなものは映画にも小説にも求めることはしなくていい。
楽しい映画とか、もっと人生を前向きに生きていけるような
そんな映画を探そうとしてきた。

4年前。
私の感情に小学生以来の哀しい感情がわいた。
あいてと言い争いが続いていて7年越しのことを
言われ続け同じ内容についてまた謝ろうとしていた。
私の頭の中で何かが言った。
「ないちゃえばいい。もう、結構頑張ったよ」
その瞬間私は母親に電話をしていた。
大粒の涙を流しながら「助けてよ・・・。苦しいよ、頑張ってきたとおもうけど、まだ足りないのかな?助けて」
電話して30分後!絶対その時間でくるのは難しいと思うのに
来てくれた。そして、私はまた泣き続けた。
来てくれる人がいたという衝撃的な感動、そしてその場所から離れられるという
開放感に。

4年の間、すこしづつすこしづつ私の心の中で
いろんなものが変化していった。
人の中にたくさんある感動。あらゆるものに関して感動する方法の違いや対象がなんなのか。私が間違っていたと思ったり思わなかったり。それでも、もっと人とわかりあえたら
多分楽しいんだとちょっと気がついてみたり。
そうして喜ぶとか喜ばれるとか言うのがなんとなく
感じるようになってきてた。

映画に行ってその前後にはじめて泣いた。
すごく心の中がゆらゆらするけれど
なんでこんなに人の心が自分の中に入ってくるんだろうって。
誰かがこんな風に思ったってことを映画で伝えて
それをたまたま見に行った私にもわかるようになっていた。
そしてそんな回りくどいような形でもすごく人間の心が伝わるんだと感動して泣いたあの日。

そうして、私は今日も期待して泣いてみようとした。

----------------------------------------------------

2時間のうちで後半の30分ずーっと涙がぽろぽろぽろぽろ
こぼれていた。

終わって思い直してみても別段に複雑な内容でもない。

予告で見たちょっとした内容がほぼすべてで
多分感動するというか哀しい映画なんだろうね、と思ってた。

1時間ぐらいたったころにはすでにうるうるしていて
もうだんだんと哀しく切なくなる。

せりふのひとつひとつを注意して聞いていると
琴線に触れる言葉がたくさん飛び出す。

もう、とまらなかった。

終わったあとまっすぐ歩けなかった。

今日はまとめて泣いた。
気持ちよかった。でも。
今の私を見つめなおすとちょっぴり現実が哀しかった。

もっとわかればいいのに。
でもまだたくさん怖いことがあるし少しずつ、そう、
ゆっくりでいいからわかるように頑張ろう。

 前の日  日記を書いた日  次の日


北京 [メール] [文句はこちらへ]

My追加