たとえば生きるということの行動すべてがスロットの目が偶然 あたっただけのできごとだったら 僕の死というスロットは今この瞬間にも回されている 何万回と外れたスロットがとつぜんスリーセブンをだした そんな風に僕は死んでしまうのだろう 一億人居る僕らの島の中で一日の死傷者がどれだけでるのか それを元に僕らのスロットのあたる確立を計算して
それを分数にしたとき 死という名のスロットが一年に一回まわるとすれば1/100の確立であたり それが一日に一回まわるとすれば1/36500の確立で死に、 それが一時間に一回まわるとすれば1/876000の確立で死に、 それが一分に一回まわるとすれば1/52560000の確立で死に、 それが一秒に一回にまわれば1/3153600000の確立で死ぬ。
それを確立にすれば 一年に一回 1% 一日に一回 0.000001125% 一時間に一回 0.00000001875% 一分に一回 0.0000000003125% の当たり判定がある
ギャンブラー死神がどれだけの運を持っているかは知らない けれどそれはいつかあたり僕らは死ぬ それがいつなのか、なんてこのスロットいつスリーセブンがでますか と聞いてわからないのと同じだ
終止符を打つのは、運だ。
*あとがき 僕が夜道で自転車をこぐとき とても臆病者の僕は後ろをなんかいも振り向きます そして曲がり角は常に用心し、人ととおりすがれば身を低くします そんなとき思いついたのがこれで 僕が今此処で死ぬ確立はスロット回すみたいなものだなぁ、と。
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