ディリー?闇鍋アラカルト
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2007年08月10日(金) 精神科領域について考える・・・3

コミュニケーション障害はありふれているのに、気付かれないのが多いんです。なぜなら、あまりに有り触れていると、それが当たり前のように感じてしまうんですね。異常な事、不幸な事が目の前で展開されているのに気付かない!!「いじめはいけない事だからやっちゃいけない。」と教える人は自分のコミュニケーション障害に気付いていません。教室で進行するコミュニケーション障害にも気付きにくいですね。
もう一つ、コミュニケーション障害の有り触れた例を出します。
「お前、もうこんな時間だぞ。勉強はしたのか?勉強しないと将来困るぞ。」「分かってるよ。今やろうと思ってたとこなんだよ。」
こういう光景って結構有りますよね。先生が生徒に「勉強しろ」と言う事も多いし、親が子に言う事も多いと思います。言われる方も、大抵大人は「勉強しろ」と言うものだと思ってますね。でも、言わない大人も居るんですよ。私も言いませんし、斉藤一人さんという高額納税者番付13年以上連続ベストテン入りした人も言いませんね。斉藤一人さんは中卒です。「勉強しないと困るぞ。」とやはり言われたそうですが、全然困った事はないと言ってます。「プロの商人」という言い方をこの人はするんですが、プロの商人に高等教育は必要ないと考えてるんですね。それは、自分でそのように生きて、確信してるんですね。斉藤一人さんは自分の仲間の子供が大学進学をする時に「ちゃんと、元が取れるか考えてみろ。」と言ったそうです。私はプロの商人じゃないので、元が取れるかなんて言い方しませんが、「文系の勉強くらいだったら、大学に行かなくても自分で出来るよ。」と言います。また、「自分の進みたい道に大学が不可欠だと思うんだったら行けば?」という言い方をする事もあります。勉強する事が本人にとって必要だと感じるなら、「勉強しろ」と言われなくてもすると思いますよ。
そもそも、「勉強しろ」と言われる方に、その言葉はどのような影響を及ぼしているのでしょう?
「勉強しろ」と言われた経験のある人は非常に多いと思うんですが、その時どのように感じましたか?出来ましたら、ここで皆さんにお話して頂きたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・参加者との応答・・・・・・

「勉強しろ」と言われて、勉強が楽しくなった人、やる気になった人は少数派ですね。「勉強しろ」と言う人は相手に、自分から進んで勉強する人になって欲しくて言うのだと思いますが、実際に起こる事はその反対の事が起こります。その反対の事が起こっているのに、それでも言う人は多いのですが、それは、「言わないとやらないものだ」と思い込んでいるからです。その思い込みが、目の前で起こっている事の意味を感じる力を曇らせます。そのように思い込むには、それなりの歴史がその人に有り、そうでない有り方を想像するのが困難になっています。
「ドラゴン桜」という東大受験コミックが有るんですが、そのコミックでは東大に受かる事のメリットを伝え、合理的な勉強のやり方を教えています。また、生徒が勉強する事を納得する形で勉強を進めています。納得していないのに「勉強しろ」と言っても能率は上がりませんね。
学力低下や学校崩壊など、教育現場では状況悪化が言われて久しいんですけど、そこで言われるのが「ゆとり教育の弊害」とか「授業時間数削減による低下」などで、「勉強する主体である人間が納得しているのか」とか「信頼関係が出来ているのか」について言われるのを殆ど聞きません。信頼関係が育ち、納得しているなら能率も上がるのですが・・・「勉強しないで大学にも行けないようなら将来困るようになると大人たちが言うから、面白くないけれど、仕方なく学校に通って、嫌々でも勉強をやらなくっちゃいけないんだろうなあ・・・」と何となく思い込んでいる生徒が大部分というのが、多くの学校の実態ではないでしょうか?「生徒たちは言われなくては勉強するようにならない」と考える大人たちは多いのですが、そんな事はありません。そのような生徒たちは、そのような大人たちの鏡なのです。自分がそのように育てられてしまったので、そのように信じ、子供たちというのはそのようなものだと思い込んで、実際に子供をそのようにさせてしまうのです。
大人たちが自分から調べたり、喜んで取り組んだりしている姿を見て育った子供は、自然に、自分から学ぼうとする子供に育ちやすいのは当然だと思いませんか?
「勉強しろ」と言わない大人たちの下ではどんな子供が育つのだろう?と思われる方の為に「超学校(一光社)」という本を薦めます。読んでみるなら目からウロコという方がたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
「いじめ」と「勉強」を例に挙げて、コミュニケーションと信頼についてお話しましたが、これは気付かれにくい状況に気付くきっかけの例です。
実際こういう事に気付いて、もっと良好なコミュニケーションにしたいと思うのでしたら、いろいろ出来る事は有ります。挙げた例は教育現場の例ですが、家庭や職場でも応用出来ると思います。
ここで、ちょっと実習してみましょうか?
「勉強しろ」というお父さんと子供の対話を再現してみましょう。
具体的に、期末テストが近づいているという状況で、どんな会話になるでしょうか?会場の皆さんで、父親役・子供役をやっていただける方居りましたらお願いします。子供がTVを見ている所にお父さんがやってきます。
そして、お父さんは口を開きます。ではお願いします。
・・・・・・・・・・・・・参加者の実習・・・・・・・

学校や職場や人生のいろいろな局面で難しい事はいろいろ起こります。そこで、一番初めに皆さんに書いてもらったカードで、今この場で採りあげてもらいたい方居りましたら挙手願います。それをここで実習しましょう。
・・・・・・・・・・参加者の実習・・・・・・・

本日は主として精神科領域の不眠・過食・欝などについてお話しました。精神科領域とは言っても病院の医師が教えてくれないような内容になっています。医者は「眠れない」と言えば睡眠薬を処方しますが、眠れない理由を克服する知恵や薬以外の心を鎮め眠りやすくする方法については、あまり語らないと思います。交感神経が昂奮して眠りにくい時、副交感神経を刺激して落ち着く方法や吐く息に合わせてゆっくりと数を逆に数えるやり方、血の巡りを良好にする方法や食生活との関連など使える知恵は幾らでもあるのですが、そういう知恵を伝えられる医師は滅多に居ないと思います。
医師というのは、大学医学部を卒業し、医師国家試験にパスした人なのですが、大学医学部では体の中の物質や細菌やウィルスについて教えても、栄養学についてはほんの数時間だけ、食生活の組み立て方や調理法についてまで教えられるわけではありません。実践的な心理学も教えられません。カウンセリング担当の臨床心理士は心理学を学んでいますが、自律神経の働きや不眠や欝に応用するやり方を学んでいるわけでもありませんし、食生活と精神との関係に詳しいわけでもありません。カウンセリングと言ってもカウンセリングルームだけのカウンセリングでは限界があります。きょうお話しした過食の例でもお金が足りない例でも心理学以外の要素が必要ですし、患者がカウンセリングルームで問題点を語ってくれるとは限らないのです。そういうわけで、今日の医療のように専門的に分かれてしまっている状況では、問題を抱えた人の全体像が却って見えにくくなっていると言えます。精神科の問題は生活の広い領域のあちらこちらで起こっている事が関連しあって作り上げている事ですからね。
その結果、精神科で出来る事は、問題の一部分の症状を抑えるという事なので、全体としてはなかなか改善に向かわないわけです。そして、現在日本は病床数・入院日数などで世界一の精神病大国となっているのだそうです。

病気としては再発を繰り返し、なかなか治癒には至らないと思われる精神科疾患なんですが、生活の全体を見直し、血流や人間関係など改善できるなら、精神科的症状も改善される可能性は大きいのです。
脳内物質の問題とも言われますが、脳内物質だけでなく体を構成する物質の大部分は口から取り入れるものによって構成されるという事を考えてみて下さい。人間に不可欠な50種類ほどの栄養素のバランスが悪いなら脳内物質のバランスが良い筈はないでしょう。そのバランスの悪さは肥満や病気を招くかも知れません。私は鬱病で病院の薬をたらふく飲み、不活発になって肥満にもなった人に「欝を軽減させる薬で太ってしまった体をどう感じるのだろうか?僕はやはり悲しい事であるように思うよ。だから、おいしくて安上がりで簡単に作れる元気になれる食事をやってみようよ。薬のおかげで太ってしまった体を見ても悲しいと感じられないとしても、薬が切れればやはり感じるのだから、肥満にさせる薬を飲むだけでは根本的な解決に至らないと思うよ。」というように言った事があります。この人は不安や混乱を来たすと電話をよこします。30分も一時間も話して、やっと落ち着いて「お休みなさい」になります。つまり、病院の薬でカヴァー出来ない精神の安定を私がガイドしているのですが、近くに居て時々会って話をするなら全く違った展開になると思います。
また、私がガイドした人で、薬漬け&依存で脳波も乱れていた人が居たんですが、その人も食生活を改善し、薬を減らしたら、脳波も改善されて主治医もびっくりしたそうです。その人は以前は話す言葉も大袈裟で、それが信頼を失わせる結果になっていたんですが、話し方も少しずつ変わって来ました。そうすると遠ざかっていた友人も近寄って来て、孤独も癒されるという流れになりました。コミュニケーション障害の改善・食生活の改善・現薬によって改善された例です。
治りにくいと一般的に思われている心や脳の不調ですが、病院に一ヶ月以上かかっても改善されなかったら、生活の全体を点検する事を勧めます。睡眠障害は薬だけが改善の方法なのだとか、鬱病は抗欝薬だけが治す事が出来るなどとは考えないで下さい。方法は他にもあるんです。
不眠にさせる、また、欝にさせる原因や要素があります。薬を飲むだけで、それに頼ると段々薬の量が増えるという事がおきます。ですから、昼にはなるべく外に出て体を動かすとか、楽しい人と遊ぶ機会を作るとか、寝る前に入浴やマッサージ・楽健法とかいろいろやると眠りやすくなって、睡眠薬を少しずつ減らす事が出来ます。抗欝剤・精神安定剤なども同様に段々減らせるはずですが、いきなりやめたりすると、自殺や暴れたり・・・という事も有り得るので慎重にやります。
大声を出したり、机を蹴飛ばしたり、茶碗を投げつけたりするタイプは特に危ないので、薬漬けにされて呂律が回らなかったりしますが、それでも、本人と話し合ってみれば、それなりの理由が有ってした事なのです。勘違いや、勝手な思い込みや、他の人に対する無理解や常識はずれという事が有るにしても。それを、暴れたのが病気の発作であると思ってしまえば、本人がどんな気持ちでそれをしたのか、どんな勘違いや思い込みが有ったのかを理解し損なう事になります。つまり、コミュニケーション良好であるなら、そういう事態に至らなくて済む事も多いし、薬を減らすためにも良いコミュニケーションを心がける事が役立ちます。薬を飲んでいる本人も、ぶくぶく太ったり、呂律が回らない状況を喜んでいるわけじゃないのです。私は、本人にその状況をどのように感じているかを尋ねます。そういう状況を脱したいという希望がある場合には、出来るだけ本人の希望にそえるようにするつもりである事を約束します。その上で、暴れるなどの不都合な行動パターンについても率直に話し合い、理解されない怒りや悲しみの暴発でなく、理解し合うための方法や技術について話し合い、練習もします。この過程で本人との信頼関係が育つにつれて、また、本人の周囲への理解が増すにつれて、不安や欝も少なくなり、問題行動も減り、薬を減らす事も出来るようになります。実際にこういう事を行うに当たっては本人と話し合うだけでなく、家族たちや精神科主治医ともよく話し合って進めて行きます。これは、こうした精神科領域の問題は、本人の問題であるだけでなく、家族や社会や医者の問題でも有るという認識を共有するためにも必要ですし、全員のコミュニケーションを良くする為にも必要です。
納得出来るまで医者に質問しましょう。よく怒り出す医者が居たりするんですけど、医者を怒らせないようにするのも話し方の技術のうちですし、中にはどんなに穏やかに質問しても怒り出す人も居ると思いますが、そんな場合には、その病院の事務長あたりに相談すれば、担当医を変えてくれるかも知れません。
また、こういう事を進めて行くにつれて、本人の苦しみや怒りや悲しみを親が理解していなかったとか、その逆に親の苦労を理解していなかったとか、理解の欠如や思い違いが浮かび上がって来る事も多いので、その場合、非難の応酬にならないように気をつけることも大切です。このような工夫や技術はアドラー心理学が有効であるように思います。

きょうのテーマは心の不調についてですが、その事で悩んでいる人はたくさん居るのに、一向に解決されないという現状があります。それは、医者が言うように、脳内物質の問題でもありますが、体を構成する物質は口からはいるものによって構成されるし、感情や行動とも密接に関係し、感情や行動を含んだ人間関係や生活の全ての面にまで配慮する事が、今日の専門的に分業化された医療では出来にくいと言えます。
この講演会の限られた時間の中でその全ての工夫や技術や知恵について語る事はとても無理な話ですが、きょう私が語った事の中に今まで知らなかった事で実行しやすそうな事があったら、やってみましょう。うんちの状態が変わるだけでも小さな喜びになります。食事も作ってあげるよりも、本人と一緒に作るなら尚良いと思いますよ。ジャガイモを不細工に切ったら一緒に楽しく笑いましょう。おいしく出来たら、共に喜びましょう。
眠れない時には楽健法やマッサージを共にやりっこしましょう。それもまた、体調を良くするだけでなくコミュニケーションも良くします。出来る事をやってみましょう。少しでも改善される事があればそれが糸口になります。他にも出来る事をやってみましょう。長期間改善の兆しも見えなかった人が、少しずつ笑顔を取り戻していくのを見るのは、見る方にとっても喜ばしい体験です。最初にお話しした、過食で苦しんでいた人は、今は、対人恐怖の人が社会復帰をするお手伝いをしています。自分が自分が回復した喜びを他の人にも感じてもらう事が自分の生き甲斐になると本人は言ってました。「この世には生き甲斐になるものがいっぱいあるのが分かるよね!欝になってる暇なんて無いよね!」というような話をしたところで、本日の講演会の締めといたします。


いなっち |MAILHomePage

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