あたろーの日記
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旧暦6月9日。 昨日は、深川江戸資料館にて、『さん喬を聴く会』でした。 「小町」柳家小んぶ 「?(新作)」柳家喬四郎 「湯屋番」柳屋さん喬 仲入り マジック ダーク広和 「お若伊之助」柳家さん喬
さん喬師匠の10人いるお弟子さんの、10番目にあたる小んぶさんの高座は初めて聴いた。登場からすでにアガっているのが分かる。出だしでトチってしまい、言葉に詰まり、最初からやり直す。客席から温かい笑いと拍手。さん喬師匠が好きで集まっているお客さんたちだから、お弟子さんに対する眼差しもやさしい。私もその1人。でもさすがさん喬師匠のお弟子さん、話し始めて軌道に乗ると、滑らか。 喬四郎さん、いいんだか悪いんだか、噺よりも本人のキャラクターで笑わせてくれてしまう。前半の、スイカ狩りに行きたい奥さんと会社を休めない旦那さんのやり取りが長々続いちゃうのにはちょっと疲れちゃったなあ。いずれ総領弟子の喬太郎師匠のように、凄味のある新作落語を期待。喬四郎さんとは誕生日が同じだから、内心贔屓にしてます。。 さん喬師匠の「湯屋番」。何度も聴いて飽きた感のあるこの噺、だけどさん喬師匠の「湯屋番」は滅法面白かった。居候の若旦那のふてぶてしさが前半でよく表現されていて、愉快。番台でどたどたやる前の、湯屋に奉公に上がるまでの部分、いろんな工夫があって丁寧に語られていて飽きさせませんでした。さすがだなあ。あと、マクラの、小さん師匠宅での修業時代の話、滅茶苦茶面白くて爆笑。近所に噺家さん宅があると、高校生も銀行員も毎日楽しませて貰っていいなあ。 ダーク広和さんのマジック。椅子のも紐のも、ほんとに??な感じ。地味なんだけど、難しい技なんだと思う。また寄席で見ることができるのを楽しみに。 トリは「お若伊之助」。初めて聴く噺。てっきり悲劇かと思っていたら、悲劇ではあるのだろうけれど、想像していた結末と異なった。心中ものかしらとドキドキしていたら、今昔物語集的な物語だった。さん喬師匠は、本物の伊之助と、贋物の伊之助との演じ分けで、贋物のほうのとらえどころのない不気味さをさらりと表現していた。
資料館を出て、友人と森下まで歩き、「鳥長」にて焼き鳥とビール。閉店までお喋りをして、例によってほろ酔いで帰ってきました。 さん喬を聴く会は、やっぱりいいなあ。
旧暦6月3日。 当時の学友たちは大丈夫でしょうか。 新潟を襲った今日の地震、最も被害の大きかった柏崎市には、小学高学年から中学1年の途中まで住んでいました。 当時通った小中学校も避難場所になっており、また、柏崎市でも被害が最も酷かったと思われる地域にも知り合いが住んでいます。その知り合いは、階段の途中から振り落とされ、肩と腰を打撲したのですが、それどころじゃない、家の中が滅茶苦茶でそちらのほうが大変、とのこと。テレビやネットの映像で見る、日本海沿いの赤い米山大橋や国道8号線は、何度も通っていろんな思い出の詰まった場所です。あんな美しい場所があんなことになっているのか、と、思わず涙が出てしまいました。 私の実家は新潟市にあるのですが、中越寄りのため、揺れが大きかったようで、実際の被害はなかったものの、母曰く、3年前の中越地震の時より、家屋の揺れ方が酷く、家が潰れるんじゃないかとまで感じるとのこと。これからの余震が怖いと言っていました。 ヒヤリとさせられたのは、震源が、柏崎刈羽原発にごく近いこと。放射能漏れはないらしいものの、火災が発生。柏崎刈羽原発で作られた電力の供給先は、原発のある地元ではなく、首都圏です。首都圏に送る電力のために、地元の人達が危険にさらされる、という悪夢の一歩手前を見たような気がした。大袈裟でなく、震源地がもし発電所の真直下であったら・・・と思うと、背筋が冷たくなった。 ・・・ともかく、被災地が1日も早く穏やかな暮らしを取り戻せるよう、祈るばかりです。
旧暦5月24日。 このところ、実家のごたごたで帰省したり、なんやかやで落ち着かない日々を送っています。 家族1人1人の人生や暮らしを、根底からひっくり返すような出来事があり、この先どうなるんだろうと暗鬱たる不安を抱えながら、ともかく一歩ずつ進んでいくしかない、問題をひとつひとつ解決して、社会の片隅でなんとか生きていくしかない、という心境です。大袈裟ではなく、特に両親には、なんとか耐えて生きていて欲しい、と切に願うばかりです。日々を乗り切るのはあまりにも多くの難題があり、出口のない息苦しさを感じますが、とにかく今日を、明日を、明後日を、少しでも心穏やかに過ごして欲しい、乗り切って欲しい、と、考え続けています。出口はきっとある、とも思っています。 我が家にとって、起こって欲しくない最悪の事態が起こってしまったことは、もうどうしようも覆せないことなのだから、そのことを真摯に受け止めて、両親を支えて立ち直っていくしかないかな、と思います。 東京で1人気ままに生きてきた私も、両親の今後の暮らしについて、真剣に考えて助けていかなければならない状況になってきました。毎日がこれまでのように同じことの繰り返しではいけないのだ、と、焦りつつ、ではどうしたらよいのか、理想は頭の中で描けても、実際は空回りの足踏み状態なのですが、それでも、以前と同じではいけないのだ、という想いは強くなっています。 いつか家族で再び笑える日がくることを願いながら、今は正念場を乗り切るしかない、という心境です。
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