再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 「蘇る魚たち」当日パンフレット、戯言先出。

演出の戯言
「広がる、世界」


コロナになって改めて気が付いた訳でもないけれど、なんとも生きにくい世の中になってしまった。

特に舞台や「人が集まってワイワイする」ことで成立する芸術なんかは、惨憺たる有様。その中でも、未来に繋がる何かを今培って、耕していかなくてはいけない。自分たちの本分を忘れて、いつまでも何かを当てにしながらいる訳にもいくまい。

そんな禍に、集団を立ち上げたO企画、新しい挑戦…、その船出に立ち会ってくれるお客様にどんな世界を魅せたいのか、どんな握手をしようとするのか。勢いじゃなく、問題解決じゃなく、問題提示だけじゃなく、正義だけじゃなく、人間へのちゃんとした理解を持って(良い面も悪い面も)、もっとその世界の外に、奥に広がる宇宙の深淵にまで触れてもらいたい。
人って己の欲求に欲望に振り回され、自分本位で、わがままで自分勝手、同じことを繰り返し歴史からも何も学ばない…。…本当に面倒だ。
でもね!と思いたい。
そこにあるのは絶望かもしれないが、そこが終わり、
ではない!と言いたい。

気づき、から広がる世界は、必ずある。

藤井ごう


2021年11月30日(火)



 自覚あるモノづくり。。

自覚あるモノづくり。
コロナになってからこっち、
さまざまな中止や、延期や縁切りなんかを体験しながら、
(去年の今頃は、コロナ罹患から復帰して、でもコロナはコロナは言われながら、稽古場の在り方を否定非難され、でも表向きは楽しいモノづくりをし、でもそこは確信が揺らぐこともなかったので、結果を伴ったことで完全なる勝利)
結局本当の意味で表現に関わる人たちが試されているのは、
どれだけ、表現に対して真摯で誠実で、そこにかける熱量が高いか、
ということだと思う。
表現はやっぱり、誰しもができる簡単なものではなく、それだけの覚悟と修練を積んだ選ばれた人たちだけが、表現することを許されるべき世界だと思う。
集団を作って、下に偉そに振る舞いたいだけ、
集団の維持だけが一義、
自己実現の為の場所、
か、
不労所得をiPadに替えて貰いたいのか、

でも、何でもいい。
本当に人の前に立って、その行動に対してちゃんと責任をとるつもりがあるかないか、
そのことが試されている。
養成所、学校、大学、稽古、
まさに目を回しながら回しながら、
不要不急というレッテルを貼られてしまった僕らが担うものを、どれだけ必要なもの、と変換することができるのか。
自己表現、どうでもいい。
自己満足、気持ち悪い。
いま、やる必要がない。
危険を冒してまで客席に足を運んでくれた人たちの数時間をもらって、豊かなものにしてお返しできるのか、ということである。

返事のないもの、
には費やした分だけ、
なにもなくなっていく。

格好悪くてもいい、ガムシャラになるしかないのだ。
そんな自分に向き合うしかないのだ。
日々、本を読み直して、現場で新しいものに出逢いながら、それを受け入れながら、自分を更新していくこと。



2021年11月20日(土)
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