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■ 自覚あるモノづくり。。
自覚あるモノづくり。 コロナになってからこっち、 さまざまな中止や、延期や縁切りなんかを体験しながら、 (去年の今頃は、コロナ罹患から復帰して、でもコロナはコロナは言われながら、稽古場の在り方を否定非難され、でも表向きは楽しいモノづくりをし、でもそこは確信が揺らぐこともなかったので、結果を伴ったことで完全なる勝利) 結局本当の意味で表現に関わる人たちが試されているのは、 どれだけ、表現に対して真摯で誠実で、そこにかける熱量が高いか、 ということだと思う。 表現はやっぱり、誰しもができる簡単なものではなく、それだけの覚悟と修練を積んだ選ばれた人たちだけが、表現することを許されるべき世界だと思う。 集団を作って、下に偉そに振る舞いたいだけ、 集団の維持だけが一義、 自己実現の為の場所、 か、 不労所得をiPadに替えて貰いたいのか、
でも、何でもいい。 本当に人の前に立って、その行動に対してちゃんと責任をとるつもりがあるかないか、 そのことが試されている。 養成所、学校、大学、稽古、 まさに目を回しながら回しながら、 不要不急というレッテルを貼られてしまった僕らが担うものを、どれだけ必要なもの、と変換することができるのか。 自己表現、どうでもいい。 自己満足、気持ち悪い。 いま、やる必要がない。 危険を冒してまで客席に足を運んでくれた人たちの数時間をもらって、豊かなものにしてお返しできるのか、ということである。
返事のないもの、 には費やした分だけ、 なにもなくなっていく。
格好悪くてもいい、ガムシャラになるしかないのだ。 そんな自分に向き合うしかないのだ。 日々、本を読み直して、現場で新しいものに出逢いながら、それを受け入れながら、自分を更新していくこと。
2021年11月20日(土)
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