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■ 先を見据える。。。
十年ほど前に、 「島」という作品を演出した。 初演は、紀伊国屋サザンシアターだった。 日本で初めて「被爆者」を主人公に扱った作品。 今もまだご存命の坪井直さんがモデルの物語。 三時間を優に超える作品で、 それでもかなりシャープにセリフを割いてはいたのだけれど、終演したら夜公演は22時半だったかな… その四年後、旅へ。 (もちろん旅に回すversionはカットを加えるわけだけれど。思えばここから長い芝居を演出する演出家になっていった汗。それまでは90分信仰だったのだけれど) 1951年を扱った芝居を若いチームで立ち上げる。そんな気概がいつのまにか現場に充ちていた。
そのテーマも伴いながら、 「生きる熱情と死の静謐」がその戯曲、舞台にはあった。
その後、先週までご一緒していた親八さんとの「父と暮せば」はじめ、戦時の芝居の多くを取り上げるようになり、 まだ未達成(コロナのせいで)だけれど、「エノラゲイ」の側から見たひとり芝居、へと繋がっている。(乞うご期待)
もちろん、再演、旅versionはとてもとても評価されたけれども、 (今ふと思い出したのは、この作品を観て、親八さん、山谷典子も私に演出依頼をくれたのでした。嶽本さんもか。) 初演時の客席の祈るような静けさは、忘れがたい。
とはいえ、その作品を作りながら、稽古場の時点で「ある確信」を持ち「この作品はどこまでいけるのだろう」と模索し、俳優さんたちを「どこまで連れていけるのか」が演出の自分にとってはとても試され、自分でも突きつけた。 評価はとてもよかった。 評判も大層よかった。 でも、そこではない、なにか。 もっといけた、確信。 未開の地へ達することはできなかった。 未踏の地へ人を導くことはできなかった。 無力感だけが残った…
辞めようと思った…
十年以上たって、その間に100本以上の作品を創り、 あらためて「確信」めいたものが稽古場にある作品と出逢った。
『紙屋悦子の青春』
可児で初日を迎え、 16日に長岡で。 20日から28日まで吉祥寺シアター。 キャストの在り方、スタッフの在り方がシンプルですごい。 全てのセクションが、面白くする、を体現している。 誰もくだらない自意識で足を引っ張らない。 不安はこのコロナ禍での変則スケジュールだけ。
是非ご覧ください。
使い捨てにされたりが重なる中で、こんなモノづくりが可能とは皮肉。。。 やっぱり作品は穴埋め、ご都合ではダメなのだ。 ちなみに師匠の七回忌だから、という作品でもあるのです。
2021年10月11日(月)
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