再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 先を見据える。。。

十年ほど前に、
「島」という作品を演出した。
初演は、紀伊国屋サザンシアターだった。
日本で初めて「被爆者」を主人公に扱った作品。
今もまだご存命の坪井直さんがモデルの物語。
三時間を優に超える作品で、
それでもかなりシャープにセリフを割いてはいたのだけれど、終演したら夜公演は22時半だったかな…
その四年後、旅へ。
(もちろん旅に回すversionはカットを加えるわけだけれど。思えばここから長い芝居を演出する演出家になっていった汗。それまでは90分信仰だったのだけれど)
1951年を扱った芝居を若いチームで立ち上げる。そんな気概がいつのまにか現場に充ちていた。

そのテーマも伴いながら、
「生きる熱情と死の静謐」がその戯曲、舞台にはあった。

その後、先週までご一緒していた親八さんとの「父と暮せば」はじめ、戦時の芝居の多くを取り上げるようになり、
まだ未達成(コロナのせいで)だけれど、「エノラゲイ」の側から見たひとり芝居、へと繋がっている。(乞うご期待)

もちろん、再演、旅versionはとてもとても評価されたけれども、
(今ふと思い出したのは、この作品を観て、親八さん、山谷典子も私に演出依頼をくれたのでした。嶽本さんもか。)
初演時の客席の祈るような静けさは、忘れがたい。

とはいえ、その作品を作りながら、稽古場の時点で「ある確信」を持ち「この作品はどこまでいけるのだろう」と模索し、俳優さんたちを「どこまで連れていけるのか」が演出の自分にとってはとても試され、自分でも突きつけた。
評価はとてもよかった。
評判も大層よかった。
でも、そこではない、なにか。
もっといけた、確信。
未開の地へ達することはできなかった。
未踏の地へ人を導くことはできなかった。
無力感だけが残った…

辞めようと思った…

十年以上たって、その間に100本以上の作品を創り、
あらためて「確信」めいたものが稽古場にある作品と出逢った。

『紙屋悦子の青春』

可児で初日を迎え、
16日に長岡で。
20日から28日まで吉祥寺シアター。
キャストの在り方、スタッフの在り方がシンプルですごい。
全てのセクションが、面白くする、を体現している。
誰もくだらない自意識で足を引っ張らない。
不安はこのコロナ禍での変則スケジュールだけ。

是非ご覧ください。

使い捨てにされたりが重なる中で、こんなモノづくりが可能とは皮肉。。。
やっぱり作品は穴埋め、ご都合ではダメなのだ。
ちなみに師匠の七回忌だから、という作品でもあるのです。




2021年10月11日(月)



 ゑほう巻き第一回公演戯言。


演出の戯言

親八さんとは、朗読劇「父と暮せば」を大切に育てながら、
別役実さんの「海ゆかば水漬く屍」「マッチ売りの少女」を舞台化し、
今回のゑほう巻きでは、かつてのラジオドラマの名作を舞台にかけるという挑戦に参加させてもらった。それも長い期間をかけながら熟成させる、
昨今の大量生産大量消費の風潮の中ではなかなかできないことだ。
そして取り上げる作家さんの筆圧、それは戦争、戦後から随分と遠くに来てしまった僕らでは達しようのないもので、経験に裏打ちされた強さがある。想像力を逞しくしなければいけない。もちろん「声」が武器のみなさんにとってもそれをただ読むのではなく、血肉化して臨むというのは、なかなかに手強い。ある種色んなものに恵まれて軟弱になっている身体の芯で掴まえて「その場を生きる声」に届くのかへの挑戦は、とても豊かである―

藤本義一作「トタンの穴は星のよう」。発せられる言葉に耳を傾けてください。
阿木翁助作「夜の河」。耳と眼をこらして観てください。
きっと当時の風景、空気、人間が蠢いてきますから。

本日はご来場ありがとうございます。
最後までごゆっくりお楽しみください。

藤井ごう



2021年10月10日(日)
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