再生するタワゴトver.5
りばいぶ



 「Gauche〜フェンスの向こう〜」劇評。

 演劇「Gauche(ゴーシュ)〜フェンスの向こう〜」(藤井ごう脚本・演出)が8月23〜28日の6日間、那覇市のひめゆりピースホールで上演された。宮沢賢治作「セロ弾きのゴーシュ」を原作に、フェンスと言葉の壁を乗り越える登場人物らの姿を言葉を使わない「ノンバーバル」の舞台で生き生きと表現した。26日の公演を取材した。(学芸部・天久仁)

 演奏会を控えた主人公でチェロ奏者のゴーシュと、そのもとを訪れる珍客との問答を描く「セロ弾きのゴーシュ」の世界観はそのまま作品に引き継がれている。一方で原作にあった特徴的な豊かな言葉の数々は、亀甲谷宝(身体表現)、仲里綾香(琉球舞踊)、平野史子(俳優)、児玉真理(人形美術)の4人の出演者の躍動感あふれる動きと豊かな表情に置き換えられた。

 深夜にチェロを練習するゴーシュの家に現れる「三毛ねこ」「かっこう」「たぬき」「野ねずみ」の各キャラクターは、いたずらをしながらゴーシュに演奏を仕向ける。出演者4人それぞれが4人のゴーシュを演じ、演奏会を成功させるという物語の大団円へ向かう。

 セリフがない「壁」を補って余りあるほど、各役者の表情と動きに説得力があった。身ぶりと音楽でストーリーを語るノンバーバルの世界に、ゴーシュと外とを隔てる「フェンス」という壁を掛け合わせた藤井の演出によって、「コミュニケーションとは何か」との問い掛けがより鮮明になった。

 沖縄公演が初演。沖縄の米軍基地と民間地を隔てるフェンスをはじめ、衣装やダンス、音楽に沖縄の色を取り入れた舞台が目を引く。宮沢賢治の童話の斬新なアレンジは、見る者に強いインパクトを残した。演奏はチアキ(しゃかり、歌・三線)、くによしさちこ(バイオリン・ビオラ)伊波はづき(島太鼓・パーカッション)、寺田英一(ギター・シンセサイザー)。主催はエーシーオー沖縄。

2021年09月03日(金)



 エーシーオー沖縄「Gauche〜フェンスの向こう〜」パンフレット戯言。。

演出の戯言

かぷかぷ…かぷかぷ…
豊かすぎる賢治のコトバのイメージ…
セロ弾きのゴーシュを題材にノンバーバル(コトバを使わない)作品を創る。
むちゃむちゃむちゃ…
普段、自分は「コトバ」を大事に、コトバから受けるイメージや奥行を大きく飛躍させる事を得意としている自負がある。まずもって、「台本を一体どういう風に書いたらいいのだ」というところからの出発(結果コトバは発しないわけだから)。演者には、得意とする武器の全く異なる四人をキャスティング(身体表現・俳優・琉舞・人形美術)して、船出した。四人の武器を目一杯使ってもらいながら、いつものスタッフチームの叡智をいただきながら、ゴーシュの中にある、楽しみと単純なようで単純ではない奥行の美味しさを引っ張り出して「今、この世界で演じられるべき作品」にしようという魂胆である。
にがにがにがにが…
改めて出会う賢治の文(コトバ!)、そこから派生して絵本やら研究本にいたるまで、色んなものに触発されながら、稽古場は出会いと気づきの連続で自由度高く進んでいる。
全く新しい、でもどこか懐かしい、そんな作品が生まれる予感である。
キックキックトントンキックキックトントン…

Play is Play と唱えた巨匠が言う、
「どこでもいい、なにもない空間―それを指して私は裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る。もう一人の人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」
ブカブカどんどん…
演劇を演劇たらしめるのは、劇作家の書いたコトバではなく、なにもない空間に置かれた演者の存在である。コトバは演劇の1つの要素にすぎないのだ。台本に書かれていない演者の存在感や舞台に流れる空気感、そしてそれを受け取る皆さんの想像力が、演劇を物語を成立させる大切な要素となる。
物語の効能、というものについてこのコロナ禍になって考える機会が増えている。人はなぜ物語を欲するのか―
どってこどってこどってこ…

全てはシンプルから始まる。
コリッ、コリコリッ、カリッとした現代に向けての処方箋、
どうぞ、楽しんでご覧ください。
わくわくわくわく…

藤井ごう


2021年08月26日(木)
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