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■ 劇団銅鑼『チムドンドン』当パン戯言。。
いつもは、幕を閉じてから載せるようにしてますが、 もうチケットない、ということで、気分だけでも…
演出の戯言 「沖縄」にある「自主夜間中学」がモデルの話だ。 「学び」とはなんだろうか。 「沖縄」とはなんだろうか。 自分自身が大学まで出してもらいながら、 そのこととは全く関係のないような「演劇」へと進み、 「沖縄」にしたって、ここ数年縁あって随分とモノづくりをさせてもらっているけれど、卒業旅行で初めて沖縄を訪れた際には、南部戦跡などには目もくれずに遊び呆けていた体たらくだった。 そんな中でのテーマは「学び」らしい、新しい旅が始まった。 とはいえ、専門家ですら、最善を探りながらも「学びとはこれだ」と言い切れない右往左往が繰り返される訳だから、「これだ」などと大それて宣言できるものでもない。無謀にも思える冒険。 劇団銅鑼さんとは初めてのお付き合いながら、なかなかの難題、 作家山谷典子と絵空事でない物語について打合せとリライトを重ね、 そして稽古場であーでもないこーでもないを繰り返しながらここまで来た。 でも、その答えのないものに対峙し続けること、 わからないことに向き合って、真理を発見しようとすること、 そして誰かの言葉に耳を傾け、 自家発電で考えることを諦めず、 誰かの「体験」に眼を向け、 そのことに「興味」を持ち続け、 人間の「可能性」について拓いていること。 今あることを、いい意味で疑うこと。 そこには「本当の学び」に通じる何かが、確かにある。 このコロナ禍に「沖縄」のことを物語りながら、 不条理に対しての鬱積した不満・悲しみ・どこにもぶつけようのない怒りが出口なく溜まった時、そんな気持ちを昇華しある種のカタルシスを得ることで心を柔らかくするのが芸術・芸能なのだと気づかされる。「三線」に秘められた思い、「カチャーシー」に託される願いー 劇団銅鑼さんとの初めてのモノづくり、面白くなればと思っている。 藤井ごう
2021年03月25日(木)
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